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 *** 「異動ですか」  ある昼休み、支店長に昼食に呼ばれて蕎麦屋に行ってみれば、異動を言い渡された。異動先は隣町の支店で、今の支店より大きなところだ。 「融資の法人部だよ。向こうの阿部課長が辞職しちゃってね。急きょ人が足りないんできみが呼ばれたってわけさ。きみは地域の人からすごく好かれて信頼されているし、わたしとしても手放すのはとても惜しいんだけどね」 「僕も今の支店がとても働きやすかったので、寂しいです。そういう雰囲気を作って下さった支店長には感謝しています」 「ま、次の店も、そう悪くはないと思うよ。あそこの最上支店長はわたしの同期で仲が良いから、福島くんなら可愛がってもらえるだろうし、きみなら新しい場所でもすぐに信頼されるだろう。頑張ってくれ」  異動については僕自身、そろそろかなと思っていたから驚かない。ただ、洋菓子店の奥さんのことが気がかりだった。栗田に任せてもいいが、栗田は少し老人を軽視するところがあるから、奥さんに真摯に向き合えるか心配だ。それから、異動先の店は電車で行くには不便な場所なので、車で通勤することになるだろう。と、いうことは駅に行くことがなくなるのだ。もう噴水前で絵を描く「川原留衣」を見ることもないのだな、と思うと、なぜか洋菓子店の奥さんに会えなくなるのと同じくらいの寂しさを抱いたのだった。
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