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 就職したての頃、友人の紹介でかなえと知り合った。かなえはとても綺麗だし、自分の考えをはっきり言える、度胸と芯がある人だ。当時の僕は慣れない仕事に追われて心身ともにボロボロだった。だからこそ、かなえの美しくて明るい、強気な性格に憧れ、惹かれたのだ。取り立てて長所のない僕には勿体ない相手だと思ったが、彼女はそんな僕を気に入ってくれた。そして二十五の時に結婚したのだ。  僕ひとりの稼ぎだけでもやっていけるだけの額はあったので、当時、地元テレビ局でアナウンサーをしていたかなえは退職して専業主婦となり、そして翌年、娘のさくらが産まれた。  幸せだった。どんなに仕事で疲れても家に帰ると妻が出迎えてくれ、妻にそっくりな可愛い娘が笑いかけてくれる。温かいご飯、明るい食卓。  けれども、さくらが小学校に入った頃から変わり始めた。自分の時間が持てるようになったかなえは、家事育児だけの人生はつまらないから仕事に復帰したいと言い出した。だが、現実は厳しいようで、希望のアナウンサーにはなかなか戻れなかった。かつて輝いていた頃の自分と、今の生活感あふれる自分とのギャップ、思い通りにいかない現実がストレスになってか、かなえは怒りっぽくなった。もともと気の強い性格でもあるから、ちょっとした言い方がキツいし、ひとつ文句を言えば三倍返しされるので、こちらも何も言えなくなる。普通の会話をしようにも、面白くなさそうな態度を取られると話す気が失せる。そんな僕らを見て、さくらもかなえの顔色を窺い、そして僕には素っ気ない態度を取るようになった。さくらが中学に上がる頃には、僕は家庭内で完全に孤立していたのだった。  会話のない夫婦。どこか雑な食事。つれない娘。声を掛けられる時はお金を要求する時だけ。気付けば夫婦生活(セックス)もなくなって、四十にしてすっかり枯れてしまった。今更期待もしていないけれど、時折襲い掛かるやるせなさに、すべて投げ出したくなることがある。  ――そんなことができるはずもなく。 「あ、あと部費の千円もいるから、全部で七千円ね」  そして僕はさながらATMのように財布から札を抜き取るのである。
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