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0.5.「神様の〈ゲーム〉」
そこは白い空間であった。
周りには何もなく、広さも高さも全く分からないが、そこには確かに白い空間が存在した。
‥‥概念であれ実体であれ、万物の存在には証明する者の存在が必要条件となる。もしも、それが満たされなければ、それは元より無いものとして扱われる事もあるだろう…。
「さて…何から始めたものか…」
生命が存在し得る環境もない白の空間。
しかし、そこには一つの生命体が存在していた。
なぜ…そして、いつからそこに存在しているのかは「それ」が告白しない限りは誰にも分からないが、ひたすらに何かを「ノート」に書き記していた。
〈 〉
…だが、記されている「ノート」の紙面に文字は無く、むしろ何も書かれてはいない。
それでも「それ」は何かを書いており、または何かを描いていることに間違いはない。
「‥‥」
「それ」は黙々と書き続ける。
熱心に筆を奔らせるその姿は、A3スケッチブックにクレヨンを描き殴る幼き画家を連想させるが、不思議と「それ」の意識は別方面にも向いている気がした。
「…ふむ」
それでも「ノート」を書くことに手を抜く事は無い。
あくまで並行して別の考え事に意識を向けていただけに留まっていたのだが、何を思い立ったのか…絶えず動かし続けていた手を止め、「それ」は考え事に全意識を向け始めたのである。
「〈遊び〉がないな…うん」
「それ」は思い返していた。
…———命あるものには、必ず終わりが来る。
「それ」には決して来ないが、愛すべき我が子たちには必ず来てしまう…。
『「無限」より「有限」を、「永遠」よりも「一瞬」を。』
『限られた時だからこそ、命は輝くもの』
‥‥我が子たちには、その事に気が付いて欲しいのだが、これがなかなか難しい。
人の生を歩む我が子たちが自身の命や人生について考える時間は少なく、気づけば既に終わり間近…というのが多くを占めるだろう。
命の「終わり」に「先」はない。
それもそのはずだ。
終わりと言えば「終わり」、その「先」など…もちろん無い。
…だが、その終わり方にはキチンと趣向を凝らした演出を用意している。
我が子たちが「終わり」を迎える直前、自らの生をふり返る時間が与えられ、彼らの意識内には忘却の彼方に消えた全ての記憶が再生される。
———…流れゆく記憶の海を渡るなかで覗き込む自身の生きたカタチ。
それは正に「自分」というタイトルの物語を顧みることになるわけで、最後には「自分」という作品づくりに関わった者たちの映像が流れて、幕を閉じる。
命尽きた生者は「死者」へと転身する。
その死に触れ、聞き、嗅ぎ…あらゆる感覚を通った「死」は、その概念と存在を「生者」に与え、命の「終わり」について考えさせる。
…ただ、これらの恩恵は死者と生者の関係がある上で得られるもの。
‥——物語には詠み手を——‥
‥——「死」を感ずるには「生」ある者を——‥
読んで解かれての循環を繰り返し———…そうして、「死」は未来への糧になる。
それは言い換えれば、「死者」が「生者」の糧になる…という意味合いにも捉えられるだろう。
「死者」が未来を生きる者に何かを与える…それはそれで面白いのだが、
「死」から何かを学び得るのが「生者」のみ…というのは、何とも一方的ではないだろうか。
〈「死」を体感した者と「死」を体験した者〉。
同じく「死」に関わり、「生者」が「死」から学び得るものがあったとするならば、当事者であるはずの「死者」が「死」から学ぶものがあったとしても、何ら不思議ではない。
「「死者」と「生者」。…うん、面白い」
死人に口無し…。
ならば、こちらは肉体と魂を与えることで彼らに多くを語ってもらうとしよう。
「「死者」と「生者」。…それと〈遊び〉か」
〈遊び〉。
それは子どもが「教育」を施される前段階に存在する自発的且つ直接的な「学習行動」であり、その絶対条件としては、遊びの中に「学び」と「快さ」がなければならない。ここで〈遊び〉から連想される「楽しさ」ではなく「快さ」を選んだのは、〈遊び〉に興じる当事者たちの自由性から派生した肯定的な感情が求められるからであり、敢えて幅広く曖昧な言葉を用いた結果である。
「よし‥」
まだまだ詰めるべき部分はあるが、大元の構想は整った。
「死者」と「生者」が共に学び、快くなる‥死と生の垣根を超えた人とヒトの物語。
その登場人物たちは「死」を体験したものと「死」を体感したもの…という単純な存在だけのものではない。
生きた時代も、性別も、年齢も…すべてが異なる者たちが集結した世界。
…さらには、そこに共通の目標などがあれば、彼らの関係も深まってくれることだろう。
つまり—————————————————・・・
「‥「ゲーム」だな」
「ノート」を閉じ、実に愉快そうな笑みを浮かべながら「それ」は白い空間から姿を消す。
…どこへ行ったのかは分からないが、次に「それ」の存在を証明する者達は「それ」が愛して止まない我が子達であった。
…それは白い空間であった。
周りには何もない。
広さも高さも全く分からない。
そして…誰も、何も存在しない。
証明する者が誰もいない以上、今その空間の存在は認識されず、過去に存在していたのかも不明瞭な存在は曖昧さを経て、元より無かった空間として消えていく。
過去ありきの今。
今ありきの未来。
過去は今と未来を築き、
今は過去を土台に未来へと昇る。
だが、過去も今もない空白の未来だけでは存在は維持できない。
‥‥そして、白い空間は消えていった。
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