0.「プロローグ」

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0.「プロローグ」

「己の願望をかなえたければ戦え」 教壇からそう言い放った塩崎という男は、外見ほど悪そうな人物には思えなかった。 …というのも、どこか切り捨てるような言葉から塩崎とは別の人物の意志を感じたことや台詞の言い方にどこか儀式めいたものを感じたためであるが…主には男の雰囲気に依るものが大きかった。 白髪交じりの灰色頭。もう少しで眠ってしまいそうなほど気が抜けた二重のまぶた。頬に浮かぶ薄い(しわ)(よわい)を刻んだ証拠ともいえるのか…年齢は不明だが、顔だけを見ればの自分達よりも一回り‥いや、二回りは年齢が離れていると思われる。 服装は襟無しの白いノーカラーシャツにキャメルのジャケット、足首が見える九分丈の黒パンツに灰色のスニーカー…と自分達が着用する制服(ブレザー)や革靴とは身なりが異なっているが、それらが微々たる若々しさを着用者に与えていたのは事実である。 …ともあれ、この世界において初めて出会った「大人」という存在が塩崎という男であった。 「‥‥」 観察を続けていた一人の男は塩崎の言葉について思考する。 『己の願望をかなえたければ戦え』 今しがた塩崎のいったこの言葉。これを噛み砕いて捉えるとすれば、この場にいる者達は「かなえたい」とか「かなえなければならない」といった【願望】なるものを持ったうえで、この場にいるという事になるのだが、残念なことに男はそのようなものを持ち合わせてはいない。 —————もしや、これは自分だけではないのか…? そう思い立った途端に沸々と湧き上がる不可解な感情の脈動が男の中に芽生え始める。ピクリ…ピクリ…と脈動する小さな根は徐々に男の心に絡みつき、やがてそれは確かな「不快感」へと変わっていく。 「?」 恥ずかしさと悔しさが入り乱れたような熱を持った感情に男は困惑した表情を浮かべる。自身の内に芽生えたいくつもの起伏と凹みを感じることはできるが、なかなか消え去ってくれそうにない感情に対し、どうすれば対処すれば良いのか…とそんな些細なことに男は動揺すらしていたのである。 「…すぅ……はぁ」 …そして、気がつけば男は息を深く吸い、短く吐き出していた。 不快、羞恥、悔しさ、嫌悪…。 様々なものが入り交じり濁りがかった感情を吐き出すかのように…堪え切れなくなった身体が深呼吸をしていたのである。 「…!」 無意識に行った動作に男自身が一番驚いていたが、気持ちの収め方というのは頭では覚えていなくても身体のほうが覚えているらしく‥落ち着いた所で男は塩崎の話に意識を再び傾ける。 …異世界から来るという謎の生命体〈ゲーグナー〉。 これまでの塩崎の話によれば、この〈ゲーグナー〉なる存在と戦い続けて【願望】をかなえる事が主な目的となる。 粗いながらも先程言い放った言葉が一番的を射ていた…ともいえるが『戦え』ということは何かしらの武器なり戦闘技術が必要となり‥‥当然のように男はそのどちらも持ち合わせてはいない。 ————そもそも、「ゲーグナー」とは何なのか…。 新たな疑問を思い浮かべながらも、男の心には塩崎の言っていたある言葉が引っ掛かっていた。 『…これは「死者」と「生者」が参加するゲームである』 「死者」と「生者」。 「この場にいる時点で生きているではないのか…?」と男は内心追及するが、再び男の中には新たな疑問が打ち立てられる。 ——————…では、自分はどちらに属しているのか…? 「…はぁ」 …男にはわからない。更にはそれを知る(すべ)もない事に男は自分自身に呆れ返ってしまうが、わからないものは分からないのだからどうしようもない。 ———それにしても一体どのように「死者」と「生者」の判別をするのだろうか…。 ————…そもそも、その両者が混在する意味とは…? …などと、一つの疑問も片付かないまま男の脳内には連鎖的に様々な疑問が浮上し始める。 それは長い間塩崎の話を聞いていた反動か…はたまた満たされない知識欲が爆発したのか。止めどなく生み出される疑問の(あぶく)に悶々とし始める中、再び男は深く息を吸い始めていた。 「ふぅ…」 凝り固まった感情を可能な限り吐き出し、浮上した疑問の泡にそっと手を添えるイメージで一時的に抑え込む。 「自分が今考えるべきことは何か?」 その一点にのみ意識を集中させて男は思考する。 今の自分に無いもの…それは【願望】である。 かなえたいもの。つまりは自分が最も欲するもの…といっても、今は「自分」のことぐらいしか思い浮かばない。 ————【自分が何者であるのかを知る事】。この程度の【願望】でも許されるというのならば、この「神様ゲーム」を生き抜いていこう…。 そして、男は再び前を向く。 凛と澄んだその黒い瞳は世の中の善悪も表裏も…何も知らない少年を思わせる純粋無垢の原石。 (ほむら)の如くうねり上がった前髪から辿り着いた頭頂部には、兎か犬か…もしくは狼や狐にも通ずる何かを思わせる獣耳のような髪を構えており、その特徴的な髪型は燃え(さか)る生命の燈火(ともしび)を感じさせる。 男の名は灰原(はいはら) 熾凛(さかり)。 名は有る。けれども記憶は無い。 何も持たず、何も知らず、何も分かっていないのかもしれないが、それでも男は決意した。 【願望】を——…ではない。 未知に溢れたこの世界で、 〈ゲーグナー〉なる謎の存在と戦い続けなければならないこの世界で…、 「神様ゲーム」という「神」を名乗る創造主によって創られたこの世界で———、 『生きる』ことを選び、仮初の「願望」を打ち立てたのである————。  
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