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「花、摘まないの?」
「摘む必要ないさ。描くだけだから。持って帰るにも時間が経つと枯れちゃうから。可哀想だよ」
トマスの答えに、リュカはホッと胸を撫で下ろした。彼の記憶は消えない。いや、谷を守るには消さなければならないのだが。小さな葛藤を胸に秘めながらリュカは緑色のコートを見つめていた。
トマスは一度筆を持つ手を止めて顎をつまむと、景色と見比べて「うーん」と唸った。
「その絵、どうするの」
「できたら僕のアトリエに飾るつもり。売る気はないよ」
絵を見つめたままなんとなく答えるが、急に振り返った。
「ねえ、リュカ」
やはり笑顔だったが、その目は真剣だった。
「そこに立ってくれない?」
「えっ?」
「君が入った方がステキな絵になりそうなんだ」
トマスはリュカの手を引いて立ち上がらせた。そしてキャンバスを挟んで自分の前に立たせる。
月の光に映し出されたリュカ。白い肌と濃い緑の帽子やストールを身につけている彼は、まるでユーステラの花が人間に姿を変えたかのよう。彼こそこの花へ辿り着くための道先案内人に相応しい。
「あー……。いいなあ」
感嘆の息を漏らすと、トマスは暫くリュカがいる光景に見とれていた。彼の目にはそれ自体が一枚の絵のように見えていた。
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