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1.陛下と文房具(緊急要請)
帝国暦150年。
沙漠の王国が「実にファンタジーな文明」に特化する一方、極寒たる帝国メガロポリスは最寄の“戦争”前後から機械文明が栄えた。
故に、紙に纏ろう文化が消失しかかっていた。
手紙はメールとSNS、ノートと鉛筆はタブレットとタッチペン、黒板とチョークはプロジェクタと音声入力にとって代わった。香り製品は、人工香料ブームが一周回って植物精油(エッセンシャルオイル)ブームとなったが、固体から液体に変わった。
《手紙を書いているが、文香は何にしよう。我は白檀が好きだ。》
電話とファクシミリは帝国謹製汎用通信機(オホン)と複合印刷機に乗っ取られて消えた。ポストは帝国政府への意見書を送るための古い窓口となった。
《文香がない 誰に尋ねても“知らない”と言う
和紙の時もそうだったが どういう事だ》
だから、この一連の呟きの意味と重要性を、殆ど誰も理解できなかった。
《冗談ではない》
ソレを呟いたのは、第五代皇帝ガルバディア。
日本で言う天皇にあたる、多分この国で一番偉い人である。
『“てがみ”ってなに・・・?』
「説明は後だ、ツクヨは香料を扱う会社に連絡、香木を集めさせろ。」
御陰様で嵐の様に動いているのは、帝国軍通信部情報課である。この日たまたま、他組織よりも暇だったので、緊急要請として対応する事になったのだ。
その日内勤だった新人女3人は、完全に割を食った。
「こうぼく…?」
「あれば白檀!」
「は、はい!」
「アスナは紙関係の会社を探して和紙の製造を依頼しろ。」
「畑から宝石拾えっての?!ないわねもう!!」
新人達は命じられた仕事を初めながら、入城式で見た皇帝の姿を思い起こしてみた。
発光か蛍光を疑われる輝きの銀髪――そこ! 輝く白髪(キリッ)とか言わない!!――のセミロングに、いつも乳白色か銀色の服を着ている。そんな実に真っ白い見た目から、登城初日に付いた渾名は“白銀の皇帝”で確定した。
「ユリは物資補給係と、香料の代用品を作れ。今から渡す。」
「はーい!」
今年は髪のハネ過ぎに悩まされている様だが、化学繊維から人工香料までサッパリだめだった。或る日、化粧業界の展示会に連れて差し上げたら《見事にぶっ倒れられたヤバイ確殺フラグ》だった。勿論、そんな業界に“ウチの陛下に付けて差し上げられるワックス”など無かったので《納期最短超特急開発でフラグ回避に成功》したらしい。
「なんでこんな時にフリーズすんのよー!!」
「…ダメだな、再起動をかけろ。」
好きなものは“新しい風”、嫌いなものは“悪夢”と無駄に長い会議。
お氣に入り装備は着物。普段も無地かつ袴装備だが、着物なんて欠片も知らない帝国民にコスプレを疑われた時はショックで
《ブレザーの方がネタ装備だと思っていた》
と呟かれ、その結果
“陛下が俺達の呟きに反応した!”
“制服=ネタ装備(大草原)”
といった具合に大拡散され、コメント欄にはいつの間にか“ウチの陛下に着せたいコスプレリスト”が出来上がっていた。SNSで大体の交流関係が動く帝国民が揃いに揃って“ウチの陛下は~”と可愛がるのは本ネタからだ。これで帝国民の恐ろしさ――流行物(はやりもの)と祭が好きなのだから仕方ない――を知ったかどうかは不明だが、コスプレリストに関する陛下の返信は《女装以外は着てくれてやろう》との事。
先述の事情により難航しているが、ウチの陛下が乗ってくれて本当に助かった。
「ジンジャーレモネード持って来たよー!」
「ありがとうございます!」
「ありがとう!」
と言うのも、石榴色の鋭い瞳から想像の付く通り、怒らせると何をしでかすか分からない実に気難しい御方だからだ。
「おめめが苺飴みたいなのー!」
「そう?」
「・・・。」
なんてユリは言うが、間違ってもそんな可愛いキャラではない。
機嫌が良いと無言でにこにこしているが、そこからいきなり不機嫌になる事もあるし、不機嫌になると碌な事がない。いきなり首根っこ掴まれて睨まれるが“まだマシな対応”と言えば分かるだろうか…知る人ぞ知る事件は、拡散されると全国民が眠れなくなるので帝国史データベース公開に限定されている。
「すみません、そろそろ事情を話して貰って宜しいでしょうか?
その、よく分からなくて…」
「残業2時間突破したんですけど!今日中に用意しないとヤバいの?
あと、陛下は文房具スキーなの?」
「そうだな。先ず、土日で関連業界の報連相がスロー運転になるから
発注依頼は今日中に済ませる。ユリは夜食の準備に入れ。」
「分かりました。」「りょーかい!」「はーい!」
「それから、陛下は文学に関係する物は何でも好きだな。
調べ物は紙の辞書で調べるし、休憩時間に本を読んで居られる事もある。
また、議事録は音声よりも文章の方が分かる。」
「えー、めんどくさ」
「こら!!」
帝国軍通信部長 兼 通信部情報課課長たるシダー長官は、口の利き方がなっていない新人にツッコミを入れながら説明を組み立て、昔を思い出してみた。
初めて、彼が第五代皇帝として執務室に納まった時のこと。
ウチの陛下が最初に机の上に置かれた物と言えば、蔓草の鏤められた便箋と揃いの封筒、文鎮に筆に万年筆にインク、そして文香だった。
…ちなみに帝国民なら、タブレットとタッチペンを置く所だ。
そう。“ウチの陛下”は、今時珍しい筆まめさんだった。
「でもこの前、帝国謹製汎用通信機(オホン)使われてましたよ?」
「業務連絡と電子署名だけ出来ればどうにかなると思って、
タブレットとタッチペンを渡したら使い出した。やっと計画通り…」
「え、ええー…」
この調子なので、帝国謹製機械文明への適応度は推して知るべし。
通信部長官以下上層部の苦労は、想像を絶してそうだ。
「他にもペン立てや手紙を開ける刃物、紙を押さえる為の重し、
封蝋用の道具一式、文房具を納める箱も有ったそうだが紛失されたらしい。
御国(みくに)のトレハン民が探したものの、今でも見つからないので、
遂に帝国真性トレジャーハンター部が出張を決めた。」
「帝真トレハン部って…テロ紛いの連中じゃなかった?」
「忠告はしたが心配でしかない・・・」
ぞれにしても、今の帝国にそんな文房具達は骨董品あるいは文化財レベル。知識人もそれなりに居る首都サクリーナ城で、物の正体が分かったのは3人のみ。全問正解に至っては、今日は軍事演習で出張中の帝国参謀スツェルニーのソリトンだけだった。
「で、陛下のコレクションって誰得なの?」
「文房具業界と教育業界だな。」
万年筆のインクを自分で調合するなど面倒そうに思うが、面白そうな事には首を突っ込まざるを得ないのが帝国民である。
例えば、某民がカードリッジタイプの万年筆を送ったら、陛下は大変驚きになり暫くソレで手紙を書いていた。そこから万年筆がブームになり、同時に万年筆の受け皿となる手帳やインク壺などの道具もブームになった。大半は直ぐ飽きてしまうが、こうした連鎖反応が祭りの如く発生するのが帝国だ。
「特にインク部門が盛り上がったのは、大体俺と陛下の御陰だ。」
「あぁ、あはは…あれね…」
“ウチの陛下はインクを自分で調合する”と聞いて燃えたのが、文房具業界インク部門であった。
彼等は、印刷インクで利益を得ていた所があったので、書籍電子化により
《正にリーマ●ショック》
《株価大暴落》
《赤字パレードつーか赤字しかない》
業界全体が瀕死状態に陥った。
リストラを決行して命を繋ぐ企業もあれば、社員全員で生き残りを図ろうとする企業もあった。部門全体が、実にデッドオアライブ〈dead or alive〉な日々を過ごしていた或る日、某民が陛下の文房具コレクションを見て“壺入りインク”・“墨”・“シーリングワックス”といった、過去に存在していたインク関連商品を思い出した。そこから、インク部門は古い記録を片っ端から読み漁り、再現開発・販売して見事返り咲いた。
もちろん、他の文房具部門も黙っておらず、各々の道を走って文房具業界は今最も賑わう業界の1つとなった。
ある企業は、自分達が生き残ったのは陛下の御陰だからと、再現開発した品々を陛下に献上した。勿論、“開発製品のクオリティをタダで見て貰う”思惑も有る事にはあったが、陛下は献上品を受け取り、彼等に手紙を寄越した。
陛下は時候の挨拶も書くので、手紙はどうしても長くなってしまう。其処を割愛すると、内容はこうだった。
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