番外編 飴が溶けるまで

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 その目が獣のような光を放っている。  雨野がこれから、自分に何をしようとしているのか、樹はすぐにわかった。胸が高鳴る。樹は誘われるままに、雨野に身を委ねたいという想いでいっぱいになった。  引き寄せられるように一歩、また一歩と前に進む。  しかし捨てきれない理性が、その歩みを止めた。 「どうした、来い」 「隊長殿、それはいけません」  ゴクリと唾を飲み、震える声で続ける。 「自分は……これ以上、隊長殿のお心を乱すわけにはいきません」 「日高」  雨野も思い詰めたような、険しい目つきになる。 「君の当番兵としての働きには、勿論感謝している。だが、そうじゃなくても俺は――」 「いけません、隊長殿」 「樹!」  突然名を呼ばれ、樹はビクッと肩を痙攣させた。 「俺のことが嫌いか?」  切羽詰まったような、切なげな声で雨野が聞く。  樹は必死に首を横に振る。そうではない。決してそういうことではないのだ。 「ですが隊長殿、その先は言ってはなりません」 「何故」 「……」 「軍人の規律に、それとも自然界の法則に反しているとでも言いたいか?」  強い口調に、樹は俯いた。  雨野は椅子から立ち上がり、続ける。 「誰かを想う気持ちが、人を強くすると言ったな」 「……」 「俺にとっての『誰か』は――君だよ」  心臓が跳ねる。樹は思わず胸を押さえた。 「俺達だって、今日死ぬか明日死ぬか判らねえんだ。どうせ死ぬなら、俺は俺の心に正直でいたい。俺は……君との思い出と共に死にたい」  死――その言葉に、勢い良く顔を上げる。  そして泣きそうになりながら叫んだ。 「貴方は、死んだりしない!」 「どうしてそう言い切れるんだ!」  言葉に詰まった。目の奥が熱くなり、視界がみるみる曇りだしてしまう。 「……来い。飴をやるから」  そう言って、雨野は舌を出した。  赤い舌の上で、小さくなった黄金色の飴が艶々と濡れている。  理性がグラリと揺れた。  一歩――踏み出そうとすると、真一文字に結んだ唇が震えた。  涙がこぼれ落ちる瞬間、樹は駆け出し、ひしと雨野にすがりついた。  雨野もそれを受け止め、力いっぱい抱き返す。  頬をすり合わせ、どちらからともなく唇を重ねた。  尖った飴玉の欠片が、口の中に入ってくる。雨野の舌と、樹の舌の間でそれが溶けていく。  その甘さが消えて無くなる頃、樹は寝台の上に押し倒されていた。 「恨んでいいぞ」  樹は黙って首を横に振り、微笑み、雨野の頬を撫でた。 「君が好きだ、樹――」  言葉の最後は口付けの中に消えた。  油が切れたのか、ふっとランプの明かりが消えた。  雨野に首筋を吸われながら、樹は薄く目を開けた。部屋の中も、窓の外も暗かった。そして月がやけに白く明るく見えた。  再び目を閉じても、その光が瞼の裏に焼き付いて離れなかった。
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