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1987年9月
日高家の墓は、広大な公園墓地の奥にある。
樹は水と花を入れた桶、それから柄杓を持って、樹は墓地内の小道をゆっくりと歩いていた。
道のりがやけに遠いような気がする。一度足を止めて深呼吸をした。
桶を地面に置き、ポケットからハンカチを取り出して額の汗をぬぐう。今年は残暑が厳しいようだ。
チン――と鈴の音色が聞こえた。
目を向けると、道の先にある墓の前に、喪服を着た人々が集まっている。どうやら法事の最中らしい。樹は首筋の汗を拭きながら、その様子を眺めた。
喪服の人々は墓の前に並んで、順番に線香を手向け、手を合わせる。袈裟を着た僧侶がその側で読経し、鈴を鳴らす。
その澄み渡った音色が空気を伝って、離れた場所にいる樹の耳にも心地よく響いた。心が洗われるようで、樹はしばらく耳を傾けながら、その場に佇んでいた。
焼香が終わったらしい。
喪服を着た人々は、僧侶に頭を下げた。僧侶も何か話しているようだったが、お辞儀をしてそこから立ち去っていく。萌黄色の袈裟を風にたなびかせ、樹のいる方へと歩いてくる。
樹は道の端に避け、手を合わせてその僧侶とすれ違った。
ひらひらと風になびく袈裟が美しく、思わず目で追う。暑さも忘れるような、凛とした佇まいだった。
――ああそうだ、そろそろ妻の一周忌の準備をしなければ。
そんな事を考えながら、颯爽と去っていく僧侶の背を見つめた。
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