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史郎は自宅に戻ってから、自室で再び雨野から託された木箱を開けた。
中に入っている物の一つ一つをじっくりと改める。写真、両親宛らしき手紙、それから日誌が何冊もある。
雨野は随分とマメに、日々の記録を付けていたようだ。日誌のページをめくり、日付を確認しながら古い順に並べていくと、残っているのは、1944年頃までの記録だと分かった。
手紙は検閲により、炭で塗りつぶされている箇所が所々あった。しかしどういった経緯で実家まで送り届けたのか、日誌の方はほとんど手を入れられた形跡がない。
兵士の戦場での暮らしがわかる貴重な資料だ。手元に置くよりは、しかるべき所に持って行った方がいいのだろうか――そんなことを考えながらページをめくっていると、ある文字が目にとまった。
〈昭和十九年三月三日 雪 強風
今日も補充兵の訓練。初年兵とはいえ、自分よりもひと回りふた回りも年長のものが多く、骨が折れる。助教の川上に「兵隊を甘やかすな」と言われる。ごもっとも。しかし俺は、ビンタを張るのが下手くそのようで。
当番、赤痢にかかり、日高樹一等兵に代わる。まだ若く可憐な男だった。〉
〈昭和十九年三月四日 曇りのち雪
本部に行く。考え事をしていて、当番の日高一等兵に、後から追ってくるようにと伝えるのを忘れた。結果、とくに問題はなかったが、うっかりした。日高は馬の扱いがうまいようだ。〉
〈昭和十九年三月六日 晴れ 風やや強し
靴下に穴が開いたので、当番につくろいものを頼む。日高樹君は割に器用で、きれいに直してくれた。お袋を思い出す。日高君の家は、父子ふたりきりらしい。俺も兄弟がいないから、なんとなく気が合いそうだ。〉
日誌を読み進めると、たびたび『日高樹』の名が目に入るようになった。
ある日は実直に軍務に励む樹の健気さを語り、ある日は可憐さを語る。休暇日に樹と二人で出かけたこと、樹にこっそり食べ物を分け与えたこと、そんな日常の些細な出来事が続き、やがて日記は途切れ途切れになっていった。最後のページに日付はなく、
〈戦闘つづく。やはり死ぬのだろうな、と漠然と思う時がある。今更、惜しいという気もないが。
どうせ死ぬのなら、俺は自分の心に正直でありたいと白状した。俺の腕の中には温もりがあった。優しいまなざしがあった。それでじゅうぶんだ。俺は幸せだ。〉
とだけ書き記してあった。
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