番外編 飴が溶けるまで

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 ポケットから取り出したのは、紙で包まれた、小さな何かの(かたまり)だった。 「それは?」 「中国人の行商から買った飴だ」 「……ですが、隊長殿の貴重な滋養ですから」  樹は遠慮がちに雨野の顔を見上げた。 「……うむ」  雨野は手の平に飴を転がしたまま、何か考えているようだった。  しばらく間が空いた。それから雨野は、つかつかと元の位置に戻ると、椅子に腰掛け、机に片肘をついた。 「いや、つまりだな――」 「は」 「用は無いが、しばらくここにいてくれ。貴様の顔を眺めていると、気が紛れるんだ」  気恥ずかしそうに、拗ねたような顔で言う。  樹は思わず笑顔になった。 「飴が溶け切るまでといわず、隊長殿が『よし』と言うまで、自分はここにおります」  * * *  雨野は机に向かって、日誌を書き続けている。 「座っていい」と言われたが、樹は遠慮して少し離れたところに立ち、それを見守っていた。 「日高、貴様の出身は東京だったな」 「は、牛込の生まれであります」 「なるほど、あの辺か」 「隊長殿は?」 「俺は深川だ」  雨野は日誌に視線を落としたまま、ぼんやりとした調子で言う。 「故郷(くに)のモンがいるってのはいいな。落ち着くよ。家族が側にいるみたいで」  鉛筆が机の上に置かれる。  雨野は後頭部で指を組み、少しのけぞった。コロン、と口の中で飴を転がしながら、やはりぼんやりと、物憂い表情をしている。  樹は心配になった。実は盗み聞きをしていたとはとても言えないが、少し前に川上軍曹と言い争っていたことも知っていた。余計に気がかりだった。 「隊長殿、何かあったんでありますか?」 「……」 「失礼は承知でありますが、心配で」  雨野は樹の方を見ないまま、静かに呟いた。 「……明日の夜、我々は北に向かい、潜伏している八路軍(はちろぐん)討伐を行う。戦闘経験の無い、いい歳の初年兵をぞろぞろ引き連れて、だ」  討伐――樹は息を飲んだ。
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