284人が本棚に入れています
本棚に追加
ポケットから取り出したのは、紙で包まれた、小さな何かの塊だった。
「それは?」
「中国人の行商から買った飴だ」
「……ですが、隊長殿の貴重な滋養ですから」
樹は遠慮がちに雨野の顔を見上げた。
「……うむ」
雨野は手の平に飴を転がしたまま、何か考えているようだった。
しばらく間が空いた。それから雨野は、つかつかと元の位置に戻ると、椅子に腰掛け、机に片肘をついた。
「いや、つまりだな――」
「は」
「用は無いが、しばらくここにいてくれ。貴様の顔を眺めていると、気が紛れるんだ」
気恥ずかしそうに、拗ねたような顔で言う。
樹は思わず笑顔になった。
「飴が溶け切るまでといわず、隊長殿が『よし』と言うまで、自分はここにおります」
* * *
雨野は机に向かって、日誌を書き続けている。
「座っていい」と言われたが、樹は遠慮して少し離れたところに立ち、それを見守っていた。
「日高、貴様の出身は東京だったな」
「は、牛込の生まれであります」
「なるほど、あの辺か」
「隊長殿は?」
「俺は深川だ」
雨野は日誌に視線を落としたまま、ぼんやりとした調子で言う。
「故郷のモンがいるってのはいいな。落ち着くよ。家族が側にいるみたいで」
鉛筆が机の上に置かれる。
雨野は後頭部で指を組み、少しのけぞった。コロン、と口の中で飴を転がしながら、やはりぼんやりと、物憂い表情をしている。
樹は心配になった。実は盗み聞きをしていたとはとても言えないが、少し前に川上軍曹と言い争っていたことも知っていた。余計に気がかりだった。
「隊長殿、何かあったんでありますか?」
「……」
「失礼は承知でありますが、心配で」
雨野は樹の方を見ないまま、静かに呟いた。
「……明日の夜、我々は北に向かい、潜伏している八路軍討伐を行う。戦闘経験の無い、いい歳の初年兵をぞろぞろ引き連れて、だ」
討伐――樹は息を飲んだ。
最初のコメントを投稿しよう!