番外編 飴が溶けるまで

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 * * *  船を降りたのは、数日後だった。  陸に上がってすぐに健康状態を調べられ、その日は疲れ果てて復員局の敷地に寝泊まりをした。  次の日の朝、復員局窓口に置かれていたノートをぱらぱらとめくった。 「風間くん、これ君のご家族じゃないか?」  そのページには『両国四丁目 いなさ寿司 風間一郎』とあり、続けて疎開先の埼玉県の住所が書いてあった。 「おお、そうだ。親父、生きてたか!」  風間は嬉しそうに声を弾ませ、樹の肩を抱いて揺さぶった。 「日高の方はどうだ。親父さんの名前、見つかったか?」  樹はその肩を落とし、首を横に振る。  それを見て、風間もシュンとなった。 「そうか……お前、これからどうする? 東京は(ひで)え状態らしいぞ」 「とりあえず、牛込に行ってみる。家でお父さんが待ってるかも知れないから」 「うん、そうだな」  そして樹と風間は、駅に向かった。  途中までは同じ列車に揺られ、途中で別々の方向へ向かうことになった。 「じゃあ、ここでお別れだ」  こくんと頷き、沈黙する。  たった数日間、行動を共にしただけだったが、仲の良い兄弟と遠く離れるようで寂しかった。  風間はふと思いついたように、懐から紙切れを出し、ちびた鉛筆でそこに何かを書いた。 「これ疎開先の住所だけど、落ち着いたらオレ宛に手紙でも送ってくれよ」 「……うん」  樹はそれを受け取って、微笑んだ。 「必ず送るよ」  ぐるぐるに巻かれた包帯の下で、風間も思い切り微笑んだようだった。  風間は手を振って背を向けた。しかし、すぐにまた樹を振り返る。 「日高!」 「?」 「ここだけの話――」  風間は少し間を溜めてから、口元に手を当て、声をひそめるようなフリをして言った。 「お前、軍隊に惚れた男がいただろ」 「!」  顔がカーッと熱くなる。 「な、なんで――」 「さあ、なんとなく」  そして風間は手を振りながら、今度は大きな声で言った。 「また会えるといいな!」  それは自分達のことなのか、それとも樹と『惚れた男』のことなのか――なんとなく、後者も含めて言っているような、風間の声にはそんな優しさがあった。  風間は何度も振り返っては手を振り、人の波の中に消えていった。 「また……会えますよね、隊長殿」  ぽつりと呟く。口元には自然と笑みが浮かんでいた。  雑踏の中、樹は祈るような気持ちで、清々しい風に吹かれていた。
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