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第2話 遠方より来たる
鋭い切っ先で海を裂きながら、一隻の帆船が東風をうけて軽快に走っていく。
舳先の人影は女神をかたどった船首像だろうか。白地に赤く縁取られたつるりとした顔立ちは人のモノではない。動かぬ影だけを見ていると、帆船ではなく、海が背後へ流れているかのようだ。
だが、むろん、そのようなことはなく、上海の港に近付くにつれて船足は落ち、海の動きも緩慢になっていった。
そろそろと船が停まる。
わきおこった海面の泡立ちも治まり、先からの東風も絶えた。ほんの一瞬、海面が鏡のように凪いだかと思うと、ふいと船首像が動いた。
だが、誰もそれに気付く風でもない。
人影は、ふわふわと舞うように舷梯を降り、桟橋を渡った。荷下ろしをする英国人の船員や、立ち働く漢人らの間をすりぬけていく。精霊のごとく潮風に溶けるかと思いきや、パシリと軽い音がして、人影は身体を仰け反らして立ち止まった。
顔を斜めに傾けて、そのまま動かない。よく見ると、人影の白い顔が割れ、その下から大きな目が覗いている。視線の先で港の悪童らが石つぶてを手にして身を固くしているではないか。一人の投げた石が人影の顔を割ったのだ。
人影はピクリとも動かず、悪童らも冷や汗を流しながら動けずにいる。そこへ、
「こら! やめろ!」
と若い男の声が響いた。
それで呪縛が解けたように、悪童らは口々に悪態をつきながら走り去っていく。男の背後で、カランとモノの落ちる音がして人影がそれを拾いあげた。
手にしたのは白地に赤く縁取りされた天狐の面である。派手な着物姿の若い女が愛おしそうに面を撫でていた。石つぶてにやられたか、まぶたの上が切れ、つうっと血が流れている。
異国の女の端正な顔立ちに気をとられ、声をかけそこなって見つめていると、男の視線に気付いた女が何事か声をかけてきたが、異国の言葉である。男が首を振って分からない旨を伝えると、意外や、流暢な漢語で返ってきた。
「どうしたい? みとれちまったかい?」
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