エッジ・ライフ

3/8
前へ
/8ページ
次へ
 ともかく、私は恋人を落ち着けるための言葉を口にする。 「ごめんなさい。そうね、ばかなことを言ったわ。忘れて」  それでも、「もう言わない」とは言えなかった。たぶん私はまた同じようなことを言ってしまうだろう。暖かい春の陽射しに、あるいは、満天の夏の星空に、大好きな人とともに、この上なく満たされていると感じたときに。つい何気なく口走ってしまうのだろう。それは私の癖のようなもので、そうやすやすと直るようなものではない。 「ごめんね。行きましょう」  そう言って私は恋人の腕をとり、歩き出す。これから買い物をして、有名店のパスタを食べて、映画を観る予定なのだ。それを思い出して、かすかに背中のあたりが寒くなる。  私は生きていて良いのだろうか。 「桜が、綺麗だな」  恋人は、おそらく気分を変えてくれようとしたのだろう。目尻にはまだわずかに涙が残っていた。そうだ。この人はとても優しい。優しくて涙もろいから、付き合うのには最高なのだと、彼の友人の一人が言っていた。 「ねえ裕史、どうして私を選んだの?」  彼は私の恋人になる前、別の人の恋人だった。彼は私に交際を申し込むために、その人と別れたのだ。それから半年程経って、私たちは今のところ、順調な恋人として過ごしている。 「それは、当たり前だろ。美春のほうが好きだったからだよ。恥ずかしいから言わせないでくれ」  できればその理由を聞きたかったのだけれど、本当に恥ずかしそうだったのでやめておいた。 「あ、まさか、そのことを気にしてるんじゃないよね。確かに僕は君と付き合うために玲子と別れたけれど、それは僕が勝手にやったことだ。それに、今は彼女も別の人と幸せになってる訳だし」  彼は私のことを実際以上に善良な人間だと思っているようだった。 「ううん、それは気にしてないし、本当に何でもないの。だからほら、忘れてって言ったでしょ」  恋人は立ち止まり、肩に手を回した。 「美春。たぶん君は少し、独りに慣れ過ぎているんだ。こうして隣にいても、僕は君を時々とても遠くに感じてしまう。でも、僕は離れないから、ずっと君の隣に居るから。だから独りで抱え込まずに、何でも話してくれないか」  どうしてだろう。私は幸せなのに、まるで悲劇の中にいるような気分だ。 「ええ」  そう言って頷くことしかできなかった。それ自体もうすでに、彼の言葉を裏切っているのだと知りながら。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加