1-2 アジリティ教室

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1-2 アジリティ教室

 5月になり、今年は4月末から続く10連休で日本中がゴールデンウィークに浮き足立っていた。  しかし自営業の一色は平常運転で仕事。むしろ旅行に行っているお客さんの犬を預かって、いつも以上に忙しそうだ。  対して俺は、1年半前に参加した体験教室以来のアジリティ教室に来ていた。  午前中から暖かい風が吹くグランドに、アジリティに使う様々な障害が並んでいる。  テツを車のクレートから出してリードを付けると、オヤツをジャージのポケットに詰めて、少しグランド周りを散歩させて受付へ行った。  女性にしてはかなり大柄な宇原先生が、小さな簡易テーブルの前で集金している。周りにはパピヨンを連れたマダムと、バーニーズを連れた俺よりちょい年上っぽい夫婦、黒いポメラニアンとビーグルのご夫婦がいた。参加者に挨拶をしつつ、授業料2000円を支払う。 「速水さん、おはようございます。今日からですね、楽しんで下さい」 「はい、よろしくお願いします」  明るい日差しの中、テツと一緒にグランドに入ると、体験時と同じようにここの生徒さんが2人、新米訓練士として接客してくれることになった。  今日接客してくれている生徒さんは1年生と2年生のペアだろうか。男子生徒はこの4月から入ったばかりなのか、側で見ているだけで精一杯という感じだ。 「島田と高山です。島田は新入生で、今日は見学させて下さい。私はここの職員です、よろしくお願いします」  2年生かと思ったが、ここの職員ということは、宇原先生と同じく訓練士か。若く見えるが話すと落ち着きがあって、饒舌で頼もしい。20代前半に見える、長い黒髪が綺麗な爽やかな美女だ。 「では速水さん、初めはリードを持ったまま、テツ君と一緒に"ジャンプ"と声をかけながら3つ連続でハードルを飛んでみて下さい。ゴールしたらオヤツをあげて、褒めてくださいね」 「はい」  高山先生に促されて、目の前の3つのハードルを飛んでみると……  テツ、速ぇー💦  俺はリードを引っ張られて転びそうになった。流石、中型犬にもなると人間の足では到底追いつけそうにない。 「じゃぁ次は、テツ君のリードを外して飛んでみて下さい。速水さんはハードルの外側を、手をしっかり伸ばしてハードルを指差したまま走って下さい」  言われるままにリードを外すと、テツはお利口にオスワリしていた。前回は全く躾していない状態で参加したものだから、グランド中を走り回り皆さんに迷惑をかけてしまったのが懐かしい。  しっかりマテをさせて、俺だけハードルの前に出る。ジリジリと前に頭を下げるテツと呼吸を合わせて、 「ジャンプ!」と叫ぶ。  テツの黒い瞳がギラリと光り、弾丸のように3つのハードルをクリアした。テツが3つ目を飛んだ瞬間、俺はまだ2つ目のハードルの手前を走っていて…テツが迎えに来てくれた。  この時、俺はテツの出自の片鱗を体感した。こいつはヤバい、スタートダッシュが他の犬と全く違う。日本人の中では大柄で人よりストロークが長いから、走りは速い方の俺でも、足元にも及ばない。こんなスピード、どうやってコントロールするんだよ…。  楽しそうに笑うテツにオヤツを与えながら、一色がテツのことを"フェラーリ"に例えた理由がやっと分かった気がした。 「速水さん、テツ君が先に行ってしまっても、ちゃんと最後まで手で指示を出し続けて下さいね」  高山先生が教えてくれた。 「犬の視界は約260度ありますから、通り過ぎても見えてるんです。しっかりボディサインを出し続けて下さい」 「分かりました」  その後、同じように何回かハードルを走って休憩に入った。こんな短距離ダッシュ、1時間も続けていたら心臓がもたない。
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