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3.リンゴ半分
「いい子だろう?」
仕事を終えてうちに帰ろうとしていると、広場で屋台のフランクフルト売りをしていた男に話しかけられた。あまり物売りには好かれないのだけど、な。
「あのリンゴの?」
「あぁ、あれはリンゴだったのか、オレンジじゃなくって」
「どっちでもいいんだけどさ」
「よくはないさ」
「へぇ?」
「まぁ、わかるよ。あんたにも」
男に連れられて、アパートに着く。歩きながら聞いた話はこうだ。
男と、リンゴをかじったお嬢ちゃん家族が住んでいるというアパートでは「お返し」が起こる。不思議な現象ばかりではないが、住民たちは心のどこかで、不思議な「お返し」を期待している。いつからか誰からか、「お返しアパート」と呼ぶようになったそこでは、住民たちが「お返し」を順繰り投げ合って、気持ちそこそこルンルンと生活しているのだそうで。
「こんなところにこんなアパートあったっけ?」
僕がマイムで首をひねると、男はガハハっと声を出して笑った。
「ないものをあるようにみせるあんたには今日が初めましてだろうさ」
豪快に快活な笑い声が、背の高い囲い塀の中に進んでいく。僕は、背中を追いかけた。
「俺の部屋で寝な、透明なリンゴのお返しってやつをみたくってね」
男の部屋の出窓から、いつもの広場がみえる、二時間おきに寸劇が始まってお客を奪っていく憎らしい寺院もある。
こっちから、みえるのに、向こうからはみえてなかった?
吊られたゼラニウムがこんなに花色うっふんなのに? みためによらず、花なんて置いてるんですね。
また、男はガハハと笑う。
「ここで暮らしていると、お返しで自分のキャラクターなんか生活に置いとけないのさ」
言いながら、男は晩御飯の支度をテキパキこなしていた。
「お返しにもらったカモミール、お返しにもらったブルーベリージャム、お返しにもらったキュウキュウ鳴るスリッパ、なぁ、俺なんてもう何処にもいないよ」
食事を済ませると、僕は男のイビキに困りながら、ソファーに毛布を借りて眠った。
朝、カーテンをめくる音で目を醒ましたら、僕は半分のリンゴを腹の上にみつける。
夜から朝まで、何回の腹式呼吸をしただろう、いったい、何回目からそこにリンゴはいたのだろう。
「おお、お返しがきたな」
男は僕より先にそれを手に持つ。
「へぇ。種のないリンゴなんて、初めてみるな」
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