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4.食堂
種のない半分のリンゴを持って、男と僕は食堂に行った。
慣れないアパートの朝はよそよそしく、男の背中をみはぐるとぽつんと一人きりの大地で一生誰にも会えないパントマイムを繰り返さないといけなくなる気がした。男に借りたキュッキュ鳴らないスリッパをズリズリ廊下に擦らせて、朝のぼやけた頭で考えた。このリンゴは誰が何処から持ってきて、僕のお腹に置いていったのだろう。
種のあるべきくぼみをみつめる、リンゴは僕に言う。
「パントマイマーだろう? 種はないけど、あるようにみせるのはお手のものだろう」
リンゴの断面はとてもお喋りで、うっかりホントに男の背中を見失いかけた。慌てる足に、スリッパはふらついた。
「あ!!」
わたわたと朝の早くから食堂内はアパートの住人達で賑やかだった。もうそれぞれにお膳について食べ始めている。整然と行儀よく食事が風景になっていて、僕はまぶたを何度か瞬いた。なんでか、こんな状態はおかしいような気がしていた。
中から、一人の背の低い女の子が風景から飛び出してくる。透明なリンゴをかじった酸っぱい顔のお嬢ちゃんだ。フードがなくて、お団子頭からピヨピヨと幾本かの髪がさえずっている。
「このリンゴ、お嬢ちゃんが?」
膝を畳んで、お嬢ちゃんの目をみつめた。別れた時と同じに、僕の真似でペタペタとぽよぽよの掌で壁を触ってみせる。指はそんなに開かない方がいいんだけど。
「ううん、それはリンゴのお返しだよ。おじちゃん」
おじちゃん、と呼ばれて顎鬚を擦る、一日でも剃らないと歳が増えるんだよもう。
「マリも食べたい、いい?」
お嬢ちゃんはマリっていうのか。リンゴのお返し? どういうことなのか。思案は男とお嬢ちゃんのマイムではない行動で流れていく。
「ほらほら、ばっちゃんに剥いてきてもらうからよ」
「おじちゃん、ママのお隣空いてるよ、ご飯もらってきて、座って」
わたわた、食堂の風景に、僕は溶けていく。お膳に白い丸皿、乗せられるトースト一枚。それだけ?
「だって、あんたはここでまだお返しもらえる状態じゃないからな」
男が説明してくれる。男の膳にはスープにフルーツ、サラダにコーヒー。羨ましい。
「ほれ、じゃぁ、ばっちゃんに頭差し出してみな」
頭を差し出せ、なにかの隠語かと疑うも、そうではない様子。
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