2人が本棚に入れています
本棚に追加
6.返ってくる
「空室をほっとくと鬼が住みつくって、大家さんがうるさくってさ」
「おじちゃん、住むの? またパントマイム、教えて」
男の背中に隠れていたお嬢ちゃんにもそう言われて、僕はお返しアパートに住むことになった。
男へのお返しはどうしよう。
お嬢ちゃんへのお返しは、甘いリンゴか、それとも秘伝の錯覚上体浮遊か。と、バタバタ、元のうちとアパートを荷物積んで数度往復するトラックの助手席で考えながら、僕はもうすっかり、お返しアパートの住人でいたのだ。僕のいない広場は、噴水が煌めき、フランクフルト売りの男は威勢がよく、寺院の時計は長針で空を指さしていた。
お返しアパートでの生活が目まぐるしく過ぎていった。
住人たちの動きや、言葉に教わって、僕も徐々に馴染んでいく。
足で扉を押し閉めたら、「お返し」に脛が腫れる。
お向かいさんの髪色をギョッとみてしまったら、まだらに髪が染まる。
アパートの住民みんなで可愛がっている猫のサンドラをなぜると、「お返し」にでっかい虫が玄関に死んでいる。
「これは、なぜられるの嫌いってことですか?」
「いやぁ、サンドラにとってはごちそうわけてくれてるんじゃないの?」
時に戸惑う「お返し」に困ることもあったけれど。
「た、食べないとダメなんですか?」
「ははは、お返しをどう受け取ろうと、それはいいんじゃないの」
「ほ」
胸を撫でて、サンドラのくれた虫は広場に集まる鳩にやった。
虫をやった鳩は開けた窓から入ってきて、卵を産んで去っていった。僕は卵をばっちゃんにハードにボイルしてもらった。
お返しアパートで恐ろしかったことは、広場で拾ってしまった聞きたくない言葉まで、「お返し」をくれたことだ。
「あれぐらいの芸にコイン投げるって、お金持ちだね」
「レベルを上げてサーカスにでも入団すればいいのに、努力が嫌いなのかな」
マイムで掬い損ねた声の塊。
人の、言葉。
夜の、僕の口を借りて再生される、言葉と人間。
透明な壁をすり抜けて、僕を叩きつけた言葉。
悪夢になって襲われた。
「これはきっと、聞かされた部屋の、いや、アパート全体の『お返し』」
夢でぶつけられる言葉は、どれも鋭利に具現化して僕を血みどろに染めた。
その「お返し」は、広場でパントマイムをする僕に、変化をもたらした。
最初のコメントを投稿しよう!