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第四章 屍人の群れ
一
ヴージを握りしめ、苦い顔で岩山を凝視する戦士クライフ。
彼の三歩後ろに立つエルドレッドは、目の前にそびえる岩山から、クライフの隆隆とした背中へと視線を移す。
しかし、ぴんと反らされたクライフの背中は何も語らない。
ただ、熟練の戦士だけが漂わせる不屈の闘気だけが、クライフの背中から立ち昇る。
……ああ、まだまだその域には到底達さない。
それを自覚しているエルドレッドの胸に、ちょっぴりの羨望が湧いてくる。
彼は小さく息をつき、隣に立つ女祭司マイムーナの横顔をちらっと窺った。
マイムーナもクライフと同じ、小高くそびえた岩山を見つめている
鬢の毛を風になびかせるマイムーナは、終始曖昧な微笑を湛え、その真意はおよそ測り難い。
そんな女祭司とは対照的に、魔術師ミュルミアは、胸元で重ねた両手をぎゅっと握りしめ、棒立ちになっている。
そのこわばった華奢な両肩が、少女の緊張を如実に物語る。
おもむろに左手を挙げたマイムーナが、ゆっくりと掌を岩山に向けた。
自分の視界を遮るその繊細な左手から、白銀の陽炎がゆらゆらと立ち昇る。
「よう、“手鑑(てかがみ)”で何か分かるか?」
クライフがよこした言葉には答えずに、じっと掌の向こうの山を注視していたマイムーナ。
程なく彼女は、ため息とともに手を降ろした。
「ダメね。確かに何かいる気配はするわ。でも、それが何かは分からない」
そうつぶやいたマイムーナから微笑が消え、蛾眉が険しく寄せられる。
「こんな“渾沌波動(クリフォト)”は初めてだわ。何かしら。小神格とも違うし、聖霊でもないようだし」
彼女は、無言のままのミュルミアに視線を移した。
「あなたはどう? ミュルミア。何か感じない?」
しかし魔術師の少女は、わずかに首を横に振った。
「いいえ。わたしは、この距離から“渾沌波動(クリフォト)”を感じ取れるほどの感性が、まだ形成されていなくて」
「そう……」
口許に手を当てて、マイムーナがうつむいた。
「“渾沌波動(クリフォト)”って?」
エルドレッドが素直に聞くと、マイムーナはどこか辛そうな笑みを浮かべて答えた。
「ある程度修練を積んだ術者は、“何か”がいると判るようになるの。“何か”が出す波動が、術者の感覚に干渉してくるから。一番危険なのは、“偏頭痛”ね」 「どうして……?」
「頭痛を感じるときは、“何か”は悪意と殺意を持ってることが多いから。探知術の“手鑑”を行使すれば、ある程度その本相は分かるけれど」
「ここはどんな感じ?」
『悪意と殺意』、そんな不穏当な言葉を聞き、エルドレッドは思わず唾を呑む。
緊張みなぎるエルドレッドの問いに、マイムーナは杖を握ったまま、張り切った胸の下で腕を組んだ。
「あたしの“手鑑”では、何とも言えないわ。こんな纏わり付く違和感は初めて。まだ距離があるからはっきりしないけれど、歓迎されていないのは確かね」
「ま、“何か”は行きゃ分かるだろ」
困惑を顔に出す女祭司を見て、クライフがふふん、と笑う。
手入れの行き届いたヴージを担ぎ、彼が鋼の目で仲間たちを見回した。
マイムーナも顔を上げ、曖昧な微笑みでクライフの言葉に応える。
「そうね」
彼女が普段どおりの挑戦的な流し目で、二人の戦士クライフとエルドレッドを見比べる。
「何が出ても平気よね? あなたたちがいれば」
男心に気持ちいい言葉だ。
だがどうした訳か、これがマイムーナの唇から出ると、妙に挑発的に響く。
実際クライフにもそう聞こえたのか、彼は憤然と言い放った。
「いまさら何言ってやがる! どんなバケモノが出て来やがっても驚きゃしねえや! そうだろ!? エルドレッド!」
「え? あ」
突然同意を求められたエルドレッドは、一瞬言葉を詰まらせた。
とは言え、彼も戦士だ。
内心の茫漠とした不安を隠し、大きくうなずいて見せる。
「ああ、もちろん。何があったって、平気だよ」
「ようし」
この鋼の蟹は、巨大な片腕を振り回すようにして、ミュルミアに向き直った。
「よう、ミュルミア。おめえ、鉱洞の入口、知ってんだろ?」
「あ、はい」
岩山から視線を逸すことなく、何事か考え込んでいた彼女は、クライフの乱雑な呼び声に、ハッと我に還った。
どこか落ち着かない様子で顔を上げた少女は、正面の岩山をおずおずと指差す。
戦士たちの目が追うミュルミアの指先は、岩山の側面を示している。
「鉱洞口は、あの岩山の南側に開いています。まだ閉じられてはいませんから……」
草一本生えていない不毛の裾野をぐるりと渡り、冒険者たちは岩山の南側に回った。
ほとんど垂直に近い岩壁に、大きな縦の裂け目が口を開いている。
どうやら人が掘り抜いたものではなく、何かの自然現象で生じたものと思しい。
しかしその裂け目は、黒ずんだ頑丈な木の枠で、長方形に補強されている。
涸れ切った排水路が横たわり、壊れた一輪車やざるが散乱する鉱洞口周辺に、人の気配は全くない。
やはりこの鉱山は、放棄されて久しいらしい。
そんな無人の坑道口に立ったクライフは、身を乗り出してその奥を覗き込んだ。
打ち棄てられた鉱洞の中には一抹の光もなく、完全な闇が詰まっている
向き返ったクライフは、仲間たちに視線を注いだ。
「よう、灯りはどうする?」
「ランタンを用意しますから」
言いながら、ミュルミアが大きな鞄の中から真鍮のランタンを取り出し
た。
少女がランタンに火を点けている間に、クライフはエルドレッドに目を向けた。
「準備はいいだろうな? エルドレッド。忘れ物はねえか?」
いくら後輩とはいえ、まるっきり子ども扱いされたエルドレッド。
くすくす笑うマイムーナを横目に見ながら、彼は頬を膨れさせてクライフに言い返す。
「だから俺は子供じゃないよ!」
「あら、あたしは分かってるから」
小さく笑うマイムーナの横で、クライフはにやりと笑ってさらに念を押す。
「確かに、おめえは子供じゃねえ。だがおめえは、オレからすりゃ半人前の“後輩”だからな。経験の浅いヤツは、“先輩”の言うことを黙って聞いとけ。それが“不文律”ってヤツだろ?」
「あ、うん。そうだね」
先輩戦士の堂々とした言葉を聞き、エルドレッドはうなだれた。
……確かにクライフの言うとおりだ。
戦士たるもの、“不文律”には逆らえない。
「あなたたち、昨日も『不文律』の話してたわね?」
マイムーナが不思議そうな表情で、二人の戦士を交互に見ている。
「『全戦士の不文律』、だったかしら。何のこと?」
一瞬、お互いの顔を見合わせたエルドレッドとクライフだった。
が、エルドレッドが女祭司に向き直った。
「『階梯の差は経験の差。経験は絶対。経験者には絶対服従』。これが“全戦士の不文律”だよ」
エルドレッドは、師事した先生に叩き込まれた教えを反芻しながら、マイムーナに語る。
「俺たち戦士は、経験が全てなんだ。だから戦士は、戦いでは“先輩”の指示に絶対従う。どんな戦士にも、嫌でも身に染み付いてる」
クライフも、エルドレッドの横で大きくうなずいた。
「オレは“ヴァルツ流戦斧闘術”で、エルドレッドは“ノイ派戦士”だ。“継承名(ミドルネーム)”で流派の違いはすぐ分かる。だがそいつは、どんな流派でも戦士なら誰でも知ってる、絶対の掟だ。大昔から言われてる話で、誰が言い出したかは知らねえがな」
クライフは無骨な戦斧を担ぎ直し、すぐ横に立つエルドレッドに顔を向けた。
その剛直な眉根は厳しく寄せられ、まばらに髭のある頬は堅く引き締まっている。
彼の黒鉄色の目に漲るのは、不屈の闘志。
紛れもなく、練磨の戦士の表情だ。
「オレもいろんな戦士に会ったが、その中でも今のおめえは一番の“後輩”だ。とにかく黙ってオレに付いて来い」
エルドレッドも口許をきっと結び、謙虚にうなずいた。
「分かってる」
若々しく、素直なエルドレッドに微笑ましげな視線を送りながら、マイムーナはそして左手の杖で坑道口を示した。
「頼むわね。あたしたちの命は、あなたたち戦士にかかっているんだから」
そして、ミュルミアから受け取った右手でランタンを翳し、マイムーナは仲間の顔を順に見回した。
「さあ、行きましょう。探すものは、たくさんあるわ」
四人の連隊は、坑道口に立ちはだかる闇を突き抜け、中へと踏み入った。
廃坑道には、冷たく乾いた空気と、闇が詰まっている。
緩やかに傾斜した暗く狭いトンネルを降りながら、ランタンを掲げるマイムーナが、ぽつりとつぶやく。
「思ったより、天井は高いわね」
エルドレッドも視線を真上に向けた。
確かに、彼女が頭上に掲げる灯火は、鉱洞の天井まで届かない。
光はすべて、彼らの上に覆いかぶさる闇の中へと吸い込まれている。
しかし天井を仰ぐ目を凝らしてみると、真っ暗闇の中に星を散りばめた様な赤い光点が、ちかちか瞬いているのが見える。
外界からの光ではあり得ない、奇妙な光景だ。
「何だろ?」
ふと足を止めたエルドレッドの声に、彼の視線を追うマイムーナも目を細めた。
「あら、本当。きれいね。ルビーみたい」
「なに、ルビー!?」
彼女のつぶやきに、戦斧を引っ担いだ戦士クライフが、耳聡く反応した。
パッ、と暗い岩天井を見上げた彼だったが、その鼻息はすぐに色を失った。
彼は舌打ちを一つ響かせて、つまらなさそうに言い捨てる。
「なあんでぇ、コウモリじゃねえか」
なるほど、よくよく注意して見れば真紅の光点は、もぞもぞと絶えずうごめいている。
それに耳を澄ませば、何やらきちきちという奇妙な音も聞こえてくる。
後ろからついてくる魔術師の少女ミュルミアが、控え目に口を開いた。
「この辺りの宝石は、もう採り尽くされていますから。宝石をお探しになるのなら、鉱道のもっと奥へ潜らなければ見つけられないと思います」
この女魔術師の言葉に、クライフは不敵な笑みを浮かべてヴージを担いで見せた。
「で、そこにはバケモノも出る、と」
何か言おうとして息を吸ったミュルミアだったが、クライフは彼女の小さな鼻先に大きな篭手を翳してそれを遮った。
彼は白い歯を口の端に覗かせ、どことなく皮肉めいた調子で鼻を鳴らした。
「分かってら、そんなこと。聞くまでもねえ」
そう口にしたクライフが、エルドレッドに不敵な視線をよこす。
「行くぜ、エルドレッド。剣は抜いとけよ」
「あ、ああ!」
先輩の忠告に従い、エルドレッドは剣の柄に手を延ばした。
久しぶりに抜き払う剣には一点の曇りもない。
ずっしりとした剣の重みと、白刃の輝きが、エルドレッドの気持ちを高揚させる。
力と経験が物を言う職能であるとともに、仲間たちの命を預かる要でもある“戦士”。
自負と責任感に、エルドレッドは身が震えるのを覚える。
そんなエルドレッドを横目に見ながら、クライフが再び鉱道の奥へと歩き出した。
ランタンを翳すマイムーナも彼に微笑みかけると、ゆっくりと踵を返す。
灯火を受け、艶やかに照り返る漆黒のコートが彼女の背中で翻る。
思わず頬が熱くなるの感じつつ、エルドレッドも先輩たちの後を追った。
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