第十章

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 魁の花が散ると若葉が芽吹き出す。新緑の季節に競い合う様に次々と花が咲き出した。だがこの街の何処に希美子が居るのか判らない。 「慎二さん、あたし付き合ってる人が居るから難しい話しはせえへんよ」と電話で言いながらも陽子は会ってくれた。  約束の御所に来た時に陽子はなんで此処なんやのと云う顔をする。  気心が知れてから此処はなんせお金が掛からないから希美子と良く歩いた。数ヶ月しか会わなかったのに今日の陽子は少し大人びていた。やっぱり電話の話は本当かも知れないと思ったが今はどうでも良かった。しかしいきなり希美子の消息は聞き難い。簡単な挨拶ですぐに歩き出した。 「もうすぐ葵祭りやねぇ」   と久し振りに出会った陽子は肩肘を張らずに気軽に、京都御苑の玉砂利や芝生の中を選んで歩いた。 「そやね。……みんなどうしてんのやろう」  彼はわざとらしく以前の友禅の事や会社の人々の状況を尋ねる。 「あんたと違ごて変わりないよ。深山さん外注の子と仲良くなってるらしいよ、一寸は肩の荷が下りたんちゃうの」 「そやなぁ。相変わらず外回りしたはるんか」 「しゃないわなぁ、代わりの人見つからへんさかい」 「ええ絵描き見つからんか……そやったら中本はどうなんやろ」  中本との付き合いだと勘違いした陽子は、慌てて照れ笑いをした。 「まだ修行が足らんか」  え! エっそやねーと陽子は気を取り直すと「先生の目に叶うにまだ早いらしい、で慎二さんまだ遊んでるん?」と話題を変えた。  野村は気のない返事をして「また葵祭が来るんやねぇ」と気のない話を続ける。 「それさっきうちが訊いた」  何が訊きたいのか解っていながら、野村の回りくどい話に陽子は突っ張らず、陽気に気さくに受け答えしてくれる。それが返って余計に胸の奥にズキンと響いた。 「祭りには慎二さんも着物作ったら、もういっぱしの大人になり」 「そやなあー」  と宙に浮いた受け答えを野村は繰り返す。   陽子は希美子の事を訊く切っ掛けを掴めず、延々と聞きそびれる野村を情け無い男だと思っただろう。 「着物、誰が見てくれるんやろ」  それでも未練を断ち切れず希美子の行方を探ろうとする。 「そやねー、分からへんけど。それでもええやん、慎二さん元気になりッ」  と懸命に励ます陽子だが今は野村に哀れみさえ憶える。そして電話で言っていた付き合ってる人の話はついに話題に出なかった。 「そやなあ、その前にどうしても訊きたいんやけど……」  やっと出てきたかと引き延ばされた仕返しに、けど何やのと陽子はわざと焦らせた。それどころか他へ振ってくる。それを野村は何度も戻してやっと問い質せたが、陽子も希美子とはあれから一度会ったが居場所は知らないらしい。本当に知らないのか、口止めされているのかも解らなかった。 「そうか元気そうか……」 「いつもの希美ちゃんらしい、サッパリしてた。……けど時折あの奇妙な話しすることもある……」 「奇妙って?」 問い掛けてからすぐに察しが付いた。他の人には確かに奇妙に映っても、野村には理解出来た。昔の彼女は世間から腫れ物でも扱うように阻害された。そこから血の滲む意識改革をして、誰からも好かれるようになった。あれはそこから逆に相手を選別する為に、無意識の内に身に付けた独特の気を惹く手段だ。希美子は時々「かわらなあかん」と野村に此の意識改革を強要する。  それ以外にどんな話をしたのか、陽子は余り喋りたくない様子だが、最悪の状態ではない事が判った。それで少しは気が楽になったが、一時の気休めに過ぎない。また連絡が取れたら会ってはくれるだろうかも解らない。だがそれ以上にこっちから距離を詰めることは出来ない。 「陽子ちゃん、別に奇妙でも何でもないよ僕からすれば普通なんだけど、ああやって撥ね付けてるだけだよそれが証拠に僕や陽子ちゃんにはしないだろう」 「そうかも知れんねぇ、どんな人に効くんやろう?」 「効き目は人それぞれやからなあ」 「確かにあの人には難しいやろうねぇ、ところで慎二さん船に乗ったそうやねぇ」 「あの人が言ったんか……」  野村は聞かれるままに漁船に乗った話を続けた。陽子は並々ならぬ関心を示した。 「漁船に乗るなんて、ようそんな事するわ。みんな尻込みするのに大したもんやねぇ慎二さんは」  希美ちゃんの影響力は大したもんやと可笑しな褒め方をした。そして一言、彼女は冷笑して云った。 「慎ちゃん処方箋を間違えたようやね」 「確かにな……」  恋に効く処方箋はさじ加減ひとつで劇薬にもなる。                             (完)
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