第一章

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 高校生活では一年先輩とは雲上の差があったから気苦労は絶えなかった。だがここではそれ以上の気苦労が待っていた。例えば他の部署と休憩がかち合うと「休んでばっかりとちゃうか」と言われても「たまたま一緒になっただけですよ」と現実をそのまま言うと、新人のくせに生意気だと一喝されてしまう。傍にいた同輩が「ぼくらと同じように喋ったらあかん、もっと気を利かさんとあかん」と小耳に入れてくれた。まだ高校の友だち感覚が抜けきらない。  十代の大半は社会へ出ていきなり大人と渡り合えるだけの気遣いは備わってない。十八年間で身に付けた全てを否定して、数日で社会人一年生として新たに習得するには無理があった。ひと月もすれば会社へ行く足取りは重くなり日曜が待ち遠しい。僅かな同年配に支えられてもやはり月曜は最悪だ。それでも何とか十ヶ月耐えた。  寒さが身に染みついた真冬の朝だった。この日はいつもより足取りが重かった。通り掛かった近くの公園から挙がる歓声に足が向いた。辿り着いた公園の一角でゲートボールを楽しむ年配の姿が目に留まった。更に向こうの砂場で無邪気に遊ぶ子供と母親が目に入った。母親が子供を呼ぶ声と走り回る子供たちの甲高い声が混じり合う。子供の無邪気な姿に彼はそのまま公園のベンチにへたり込んでしまった。  腰を降ろした瞬間に何かが体から喪失していった。一瞬の夢見心地が数分続くと遅刻と云う恐怖が襲って来た。規律破りは白い目で観られるが病欠なら同情してくれる。 「会社に電話しなければ」  リングサイドで倒れたボクサーの様に立て、立ち上がれと耳に連呼がする。やがて始業のゴングが鳴り響いた。     
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