第一章

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「そうだ電話をすればいいんだそれで救われる」と思った安堵の瞬間に心は宙に浮いた。携帯を持たない彼は電話ボックスを見つけるとダイヤルを回す指に再び恐怖が襲う。指が麻痺したように動かないしかし早く会社へ電話しなければと焦る。心を落ち着かせる為にボックスを出て歩く。ボックスから遠ざかると胸の動機も収まり平常心が戻る。そして探し見つけた公衆電話を何度もやり過ごした。 やがて昼近くになってもう会社へ電話するのを諦めた。もう無断で休んだ口実がなくなったから諦めたのだ。公園のベンチから立ち上がった時に会社に電話する予定だった。 「どうしたんや」と言われて。 「一寸気分が悪なりまして」 「そうかほなあ今日は休むんか」 「はい」で用件は済むのにこれだけ時間が経ってしまえばずる休みにしか取れないからだ。理由はなんとでもなるのに此の当時は自分の健康しか考えられなかった。高校を出たばかりで家庭の事情はまず論外だった。  その日彼は会社を初めて無断欠勤した。口下手で巧く弁明が出来ない彼には、それはもう明日からは会社に行けなくなることを意味している。この春に学校からの斡旋で勤め始めた会社である。学校と会社双方に悪い印象を残すことになる。この人生最大の汚点に社会人一年生の彼の取り得る行動は限定されていた。 社会へ出て十ヵ月の若者にはそれは大変な運命を背負い込んだ。月に一度はこの際まで行ったが今日は万事休す。どうすればいい、どうすればいいんだ、此の言葉ばかりが反復されて展望が全く見えてこない。     
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