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何気なく手にしているつり革にも、ドアと同じように人間のような想いや感情があったらどうだろう。
不規則に揺れる車内で乗客を守るため、定位置にぶら下がり常にスタンバイしている。
日中の長い待ち時間を経て、夕方のラッシュアワーを迎えると乗客がつり革を握り、つり革は金属の棒から離れまいと必死にしがみつく。
駅に到着する度に活躍するドアに比べれば平日の日中はつり革にとってはのん気なものである。
車内の高い位置に均等に配置されたつり革に誰かが広告を付け始めた。
つり革は本来の役割の他に、広告の役割があることを自覚しているのだろうか。
やがて通勤電車は智子の降りる駅へとやってきた。
智子も乗客の大波に身を任せホームへと降りる。
これだけの乗客をたった二本の線路が支えていたことに改めて感心した。
二本の鉄路は乗客を満載した通勤電車を車両ごと支えている。
『これも作用、反作用なんだ』
鉄路が形状を変えず頑なに車両から受けた重力を天空へと押し返し続けてくれたお蔭で、智子はまたこの駅に戻ってくることができたのだ。
そんなことを思い浮かべながら智子は改札へと向かう階段を昇っていく。
ただそこに存在しているということ自体に意味があり、ドアやつり革や二本の線路に智子が感心したように、当人でさえ思いもよらない役割というものがあるのだろう。
智子はそんなことを考えながら改札をくぐり、自分も社会にいる意味がきっとあるのだろうと思えてきた。
駅舎を出て馴染みの景色を目にすると、智子はすっかりお腹が空いている自分に気がついて足早に家路についた。
智子の「ただいま」を受けて高い空には「おかえり」と月がお返しとばかりに輝いている。
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