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「でっかくて真っ赤なアリに襲われてね、足を持っていかれたよ。ところで……」
蒼白な顔をして、男は碧に笑いかけた。
「初対面の君に頼むのはなんとも厚かましいと自分でも思うんだが、なにか食べ物をくれないか? 僕はもうすぐ死ぬ。最期に食べてから死にたい」
それは懇願のように思えたし、もしくは単なる独り言のようにも思えた。
あげることができるものは、カバンのチョコしかない。そしてそれは、渡すわけにはいかない。あれは、小春のものなのだから。碧は無視して通り過ぎようとした。
しかし、その時ふと、頭の中で声が再生された。小春の声だ。あの薄い夕陽と、チョコの甘みに包まれて、彼女がはにかむように自分に告げた言葉。
「私、あおちゃんが好き。あおちゃんは無口で冷たいように見えるけど、本当はとっても温かくて、優しい人だって私は知ってる。一番大切なものを惜しみなく与えることができる、そんな温かい人だから、私はあおちゃんが大好きになっちゃった……」
数歩行き去り、また戻って、碧は男の前に立った。震える手でカバンから箱を取り出すと、愛惜するように包装を撫でてから、思い切るように破った。
蓋を開ける。中には整然と区分けされたさまざまな種類のチョコのアソートが三十粒。
碧は一粒をつまみ上げて、男の口元にそっと差し出した。
「……ありがとう、うん、これは、コーヒー味だね。僕の一番好きなチョコだ……本当にありがとう、ここに来て、初めて人の優しさに触れられた……」
男の眼窩から涙が零れ落ちる。ごくりと喉が動いて、男は掠れた声で言葉を続ける。
「優しい君に、お返しといってはなんだが、一つ良いことを教えるよ。あそこの空に、白い綺麗な星があるだろう? あの下には救いの女神様がいて、何でも一つ、願い事を叶えてくれるそうだ。行ってみたらどうだい……」
確かに、遥か遠くの空に、他の妖星とは明確に異なった、聖浄な輝きを放つ白い星があった。
「大事なことが一つある。そこに行き着くまでに、自分がなんでここに来たのか、それを思い出さないといけないよ……」
碧はしばらく白い星を見つめてから、おもむろに視線を戻した。
男は真っ白な一山の砂になっていた。
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