九条冴子は返さない
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彼女は返さない

 小さい頃、他人から借りたものは返すのが道理だと教えてくれたのが保育園の先生だったのか近所のおじさんだったのか、未だに思い出せないのだけれども、そんな話題を振ったら九条冴子くじょうさえこは鼻先で笑ってからこう言った。 「ほな何ももらえん第三者が可哀想にならんと?」  桜が咲きそう、という情報を十四インチの薄型テレビでやっていたニュースで見つけて西公園に彼女を誘ったのだけれど、生憎あいにくの曇り空だし見物客は多いし、大学の顔見知りはブルーシートの上で昼間から酒盛りを始めているしで、少々後悔していた。  膝下までの彼女のスカートの裾が風で揺られるものの、そのすっと伸びた脛はワインレッドのヒールまでの優美なラインを甘すことなく世間に披露している。花柄のワンピースは彼女にしては珍しくお洒落な装いと思えたが、化粧する気がないのは素顔に自信があるからだと思いたい。 「正人まさとさ」  市村いちむら君から正人という呼び捨てに変化したのは今年に入ってからだが、そのきっかけが何なのか未だに分からない。 「なしてバレンタインディ、うちにチョコをくれたと?」 「九条さんがくれないから」  というのは本音でもあるが、実はもっと別のところに僕の考えはある。 「今日、何の日か知っとお?」 「さあ。何だったろうね」  普段”非常識がスカートを履いている”と呼ばれている彼女でも、流石にホワイトディが何の日かの知識はあるはずだ。それを知っての質問だろうが、僕はわざとはぐらかす。何としても今日こそは九条冴子から何かを”返して”もらいたい。
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