序章

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なぜ、これまでこの出来事を書き留めることができなかったのだろう。 きっとあの夏が僕自身のなかで、強い生々しさと共に、夢を見ているような現実感のなさが、複雑に混ざりあって存在していたからだろう。いままでは思い出すたびに混乱してしまったり、ひどく感情を揺さぶられることもあった。 それは嵐に遭遇したようなもので、自分の心をしっかりと抱え込んで離さないようにしなければならなかった。 でも近頃になって、ある程度落ち着いてこの思い出と向き合えるようになった。大人になったともいえるし、あるいは感受性が衰えたともいえるかもしれない。 いずれにせよペンを持って紙に向かい合う準備はできたということだ。 これは鎮魂の歌だ。薄れた記憶の中で今も生き続ける人に、この現実から忘れ去られた人に送る歌だ。少なくともそうあってほしいと僕は願う。
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