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第4章
人は、生きていれば多かれ少なかれ誰しも傷つく。そのなかでも多感な思春期(あるいは多感で屈折した思春期かもしれない)に受けた傷はやっかいだ。
ある人は、時間が癒してくれると言う。また、ある人は傷ついた体験を乗り越えてこそ大人になれると言う。
でも、僕はどんなことがあっても忘れないつもりだ。痛みの記憶を風化させる時間も、痛みに気づかない鈍感な精神も僕には必要ない。
*
昨日、荷解きを終えた後、僕はさっちゃんの家に電話をかけて、今日の昼過ぎに会う約束になっていた。
電話には、まずおばさん(さっちゃんの母親)が出た。昔からよく知っている人だ。以前はさっちゃんの家に行くことも珍しくなかったし、よくお世話になったものだ。
おばさんがさっちゃんに電話を代わるまで害のない話をした。
さっちゃんは携帯電話を持っていない。最近では、10代でも持っている者も少なくない。親が厳しいのか、それとも彼女自身が持つ必要がないと感じているのかはわからない。
おばさんの話だと、この頃は家族ともほとんど会話らしい会話もないらしい。それは簡単に思春期だからともいえる。またあるいは、慕っていた姉を失ったからかもしれない。
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