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「まずい!」
昨日の残業が響いたせいか、アラームに気づかず寝坊してしまった可憐の父は、ベッドから飛び起きた。幸せそうな家族写真の隣にある時計は、いつもの起床時間から30分も過ぎている。
会社には間に合うが食事の準備をしている暇がない。可憐にはお金を置いていくかと考えながら着替える。
1階へ勢いよく降りてくる父。お金を残しておくためにキッチンへ入ったところで、見慣れぬ光景に目を丸くする。
シンクに向かうエプロン姿の女性がいたのだ。
「あ、愛……?」
その懐かしい姿に、思わず名前がこぼれる。
「おはよう」
だがエプロン姿で振り返ったのは、可憐だった。
「お…おぅ……」
あまりの出来事に挨拶すらまともに交わせなかった。
「ご飯、食べる……?」
申し訳なさそうに可憐が言うと、
「あ、お、そうだな。しかし今日はちょっと時間が……」
戸惑いながら返すのが精一杯だった。
「だと思った。はいこれ」
可憐が差し出してきたのは、水色の巾着に包まれたお弁当箱だった。愛がいつもお弁当を作るときに使っていたものだ。
「お母さんみたいにうまくないけど……」
「可憐……。あり、がとう……」
自分が今直面していることが現実なのか、混乱する父。しかし胸から熱いものがこみ上げてきてしまったため、弁当箱を受け取ると振り向く。
その背中に向けて、可憐が声を掛ける。
「お父さん……、今までごめんね。でも、ありがとう……」
邸宅から、可憐の父が目元を拭いながら出てくる。その様子を、DVDを届けた少年が電柱の頂上からしゃがんで眺めている。
少年はスマートフォンを耳に当て、意識を澄ませる。
「もしもし、僕です。娘さんの忘れもの、ちゃんとお返ししましたよ愛さん。あなたもよく決断してくれましたね。ええ、あれならもう大丈夫でしょう。素敵なご家族ですね。ええ、それじゃあ、また」
電話を切りスマートフォンをポケットしまおうとすると、すぐに着信が入る。
「はい、僕です。ああ課長。はい、ああそうですか。それは早いとこお返ししないとですね。分かりました。すぐ向かいます」
再び電話を切り、ポケットにしまうと、少年は電柱の上に立ち上がる。
「さあ、仕事だ」
『ココロお急ぎ便』完――。
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