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呼び鈴を鳴らすと、旦那様は足を引きずりながら私を迎えてくださり、リビングへ案内してくださいました。
旦那様に快く迎えていただきながら、私は動揺を抑えることが出来ません。旦那様は奥様に一切目を向けず、奥様が何かをお話しになられても返事もせず、手を握られても気にしない。まるで、奥様がそこにいないかのように振る舞うのです。
契約内容についての説明を受けている時、私は堪らず奥様に声をかけようと致しました。すると奥様は「私の方を見ないでください!」と強く注意されました。そんなやり取りがあったにも関わらず旦那様は「石崎さん、どうかしたかい?」と不思議そうに首を傾げるだけでした。
本当に、旦那様には奥様が見えてらっしゃらない。
ここに来る前、奥様自身から伺ったことでした。
すぐ隣にいらっしゃる奥様が見えないとはどういうことなのか、全く理解出来ませんでしたが、実際に旦那様と奥様を前にすると、それは見えないというレベルのものではありませんでした。
姿も声も気配も、奥様の全てが分からない。旦那様には、奥様の存在そのものが分からないのです。
それは、見えている私の方がおかしいのかと錯覚するほどでした。それなのに、他の人が奥様に話しかけたり隣にいる奥様を避けたりすると、そこに奥様がいるんじゃないかと思われる。本当に、訳が分かりません。
原因は、事故で奥様がお亡くなりになったとの誤った記憶のせいだと、仰っておられました。
旦那様お一人で運転なさっていたお車に、何故か奥様も同乗されていて、その事故で奥様がお亡くなりになられたと思い込まれているとのお話しでした。
何とも悲しい勘違いです。早く本当のことを教えて差し上げればと思うのですが、奥様は、旦那様がもう一度ご自分を見てくださるようになるまでいつまでも待つと、仰られておられました。
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