プロローグ

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もう何日も食べていない。昔はよく知らない家に上がり込んで食べ物を頂戴していたものだったが、最近の家のセキュリティーはどうも複雑で、その上玄関に監視カメラまであるとくれば、妖怪といえど侵入を尻込みしてしまうのだ。 私の名はぬらりひょん。 「ぬらり」は、ぬるぬるした掴み所のない様を、「ひょん」はヒョンノキといういびつな植物が由来で、突飛もないというような意味だそうだ。人間によって安易に付けられた呼び名ではあるが、私はこの名を思いのほか気に入っていた。 漫画やアニメにも登場することから、私の名を知っている者は多いだろうと想像がつく。夕方の忙しい時間に、民家に勝手に上がり込み、茶を飲み、タバコをふかし、自分の家のように振る舞う身勝手な妖怪。私に対する世間のイメージはそんなところだろうか。 世間のイメージに反論する気はない。大体そんな感じだ。ただ、一言だけ反論があるとするならば、慌ただしい夕飯時の侵入は避けるようにしていたので、「忙しい時間に」勝手に上がり込むと言われるのは心外だった。しかし、客として呼ばれているわけでもないので、そのように言われても仕方ないだろう。 ここ数百年、たくさんの家庭を見てきた。江戸時代から平成の世まで、家屋の特徴や時代の移り変わりなど、ここまで日本の家庭文化を知り尽くしている妖怪は他にいないだろう。明治後期には、縁側から家屋に上がり込み子どもたちとおはじきで遊び、昭和初期には勝手口から侵入してコマを楽しんだ。 しかし、平成も終わろうとしている今、時代は随分と変わった。物騒な世の中だ。マンションにはオートロックがかけられ、パスワードがなければこの私でも侵入ができない。大抵のビルには監視カメラが取り付けられている。私の姿はカメラには映らないはずではあるが、なんとなくいい気分ではない為、避けて歩くようになった。 そんなわけで、ここ数日の間、家屋侵入ができておらず、餓死寸前ってわけだ。ま、死なないんだけど。
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