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「んーっ、美味しかったね。次どこ行こうか?」
両手を広げ、伸びをしながらそう尋ねた。
「私、服見たいから付き合ってよ」
「服かあ、いいね」
そう答えて駅まで歩き出して、電車に揺られて出てきたのはショッピングモール。彼女はそこで服を見定めている時も、映画館で映画を見ている時も、カラオケで歌を歌っている時も、どこか退屈そうだった。そして時間はあっという間に過ぎて夕食前。彼女からの提案で、喫茶店に入ることになった。もちろんここでも紳士的な対応を忘れず、レディーファーストを意識した振る舞いをこなしてみせようと意気込んでいた、その時だった。
「別れて欲しいの」
「……えっ?」
喫茶店に入るなり、彼女が俺に告げたのは別れだった。豆鉄砲でも食らった鳩、なんて表現がぴたりと当てはまった。俺はわけもわからず、ただ混乱している頭の中で状況を整理しようとしていた。
「えっと、な、なんで?」
「……君が、私には勿体無いくらい良い人だからかな」
「良い人って、そんな」
「じゃあ、私帰るから。ごめんね、それじゃ」
そう言って店の外へ出て行ってしまった彼女を追う事が、許されないような気がした。衝撃が大きすぎて、もう何がなんやらだ。俺は右手に握られたブラックコーヒーを、一気に飲み干した。ああ、苦えなあ。扉を開けると、ひまが俺を迎えてくれた。玄関に踏み入るなり、俺の股間に鼻を押し当てて、匂いを嗅いでくる。すると次に、ひまは吠えだした。なんだ、飯か?今ちょっと疲れてるから、待ってくれ……。そんな思いも虚しく、ひまはわんわんと力強く鳴き続ける。
「ちくしょう、急すぎるだろ……」
玄関に座り込み、誰も居ない家の中でそう呟いた途端、目から涙が溢れてきた。あーあ、勿体無いくらい良い人ってなんだよ。お前のこと、ちゃんと好きだったのによ。考えれば考えるほど涙が止まらなかった。その涙は、頬を伝って、顎先から音も立てずに落ちていった。すると涙で濡れた俺の頬に、ざらっとしていて温かいものが当たった。
ひまの舌だった。ひまなりに、慰めてるつもりなんだろうか。ひまの舌でべたべたになった顔を服の袖で拭って、ひまの頭を撫でてやった。
「……そういえばお前、メスだったな」
俺がそう言うと、ひまはまるでその言葉を理解したように、わん、と小さく鳴いた。
お前がいるなら、彼女なんていらないかもな。なんて、本気でそう思った。
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