act.29

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act.29

 俺は甘ったるい匂いがはびこっている空気を断ち切るように新聞紙をバサっと広げた。普通の新聞の一面にはこの街では馴染まない騒々しい都会のクリスマスのことが載っていて、経済のページには年末商戦のことやらがたくさん載っている。それで……エンタメの紙面に文雪の記事がでかでかと載っていた。  まあでもこちらの新聞記事はとても品がある。あくまで老舗の新聞社の記事と言ったところ。事実を淡白に丁寧に中学生にでも分かるように書いてあった。問題はスポーツ紙だ。  なんだよ『神野文雪、少年を抱く?』って。下品かよ。そのままかよ。記事によると都会の真ん中で負傷した文雪が一般男性をお姫様抱っこして逃げ回ったらしい。  なんかのパフォーマンスなのか、それとも素顔なのか続報が待たれるだのなんだのかんだの。次の週刊誌もこの話題で持ち切りだろうなと思う。少年を抱いていることと顔に傷を負っていたことの関連に対する憶測が渡り鳥のように飛び交っている感じが記事を読んでいてもまざまざと伝わってきた。  やっぱり影響力のある人間ってのは生きづらいよな。  俺はさっき買った抹茶のバウムクーヘンをかじる。  ぱり、と音がして表面の薄いカラメルが砕けた。 「うま」  あ、これ姉貴に買って行く分だった。まあいいや。もう食っちゃったし。  ごめん姉貴。  もぐもぐしながら新聞の記事について考察する。  まっ先に思ったことは、繰り返すようだけど『下品』だってこと。ゴシップ好きな中年女はスタンディングオベーションするに違いないが。彼女たちは現実が下らなすぎて誰かのアメイジングなアクションに期待するしか娯楽がないんだろう。  他人の不幸は蜜の味ってね。正直に言うと俺もその気持ちは少しだけ分かるような気がしないでもない。性格悪いって自分でも思うし。でも俺は中年女じゃない。  次に思ったことは、ノエルすげえなってことだった。無鉄砲にこの街を飛び出していって、文雪のあとを追いかけていって、俺は絶対どうにもならないだろって不安と呆れの混じった気持ちでいたけれど、この記事は確実に文雪とノエルのことだと思う。一般人だからメディア露出はしてなかったけど、見切れてるリボン帯はまず間違いなくノエルのだし。  誰かのためにここまでするのが「好き」ってことなのだったら、好きって力は本当に魔法みたいだ。それも禁忌に近いような。  ノエルは禁忌の魔法使いなのかな。きっとそうだ。  「好き」、それだけで文雪のいる世界を大きく揺るがして、文雪のキャリアをぶち壊した。世間にゴシップっていうエサをバラまいて、きっと彼を手に入れた。  だって、記事も見出しも下品だけど、写ってる文雪の顔、どんな写真よりも生きてる感じがするから。  これは万人を魅了する売り物の顔じゃない。自分を見つけた人間の顔だ。  ノエルが魔法をかけたんだ。  例え世界中が文雪を堕落させたとノエルを非難しても、俺はあいつを誇りに思うし、すげえなって思うし、だから、絶対に守る。
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