千字小説訓練 25th Mar 2019

2/2
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ
夕方になり、暑さは日中と比べていくらか和らいだものの、まだまだ快適に過ごせる時期には程遠い。 扇風機が稼働する部屋。風鈴の音には精神的に涼しさを助長する効果があるというがきっと嘘だ。 私といくつかの事象が、あなたの帰りを待っている。 コンロに手鍋で湯を沸かす。暑さと湿気がさらに肥大する。過剰な分をどこかの乾燥しきった国に分けてやりたいくらいだ。そんな機構をどなたか発明してほしい、私よりも頭が良いのなら。 丸々とはち切れそうな、完熟したトマトが売っていた。 夏ならではの赤い収穫。その表層は、誰が光沢を塗りたくったはずもないのに輝いているように見える。 一年を通して手に入る野菜だけれど、そうして流通と栽培の進化が私たちの生活を支えてくれている恩恵に感謝の意はたしかにあるけれど、その代償として失われた季節感を悼む自分勝手な生き物だ。 包丁でヘタの部分をくり抜き、必要以上に身を分断してしまわないよう、わずかだけ切り込みを入れる。 沸いた湯の中に、トマトをそうっと放り込む。 長い時間でなくていい。 切り込みのところから、しぶしぶ解放されてしまったようにトマトの皮がめくれ上がる。それで十分だ。湯の中からトマトをすくい上げ、氷水の中へと移す。 程なくして、熱せられた果実は筋書き通りに冷却され、素手で触っても大丈夫な温度へ戻ってきている。 めくれ上がった部分から、少しずつ、トマトの皮を剥いていく。 果肉に爪を立てないように。 けれど、爪の先で慎重に皮の端っこを捉え、指先へ。 氷水の中とは裏腹に、額を汗が伝う。バーナーズ・ピリオド・メイカーのライブタオルで汗を拭く。 家の中だから、気兼ねのないというよりはむしろだらしのない格好をしている。Tシャツ一枚でブラもつけていないし、下半身は下着しか身につけていない。 このトマトのようにプールの中へ飛び込めたらな、と思う。もちろん、皮を剥かれるオプションは無しだ。 すっかり表皮を剥ぎ取られたトマトの手触りは、少し硬いけれど、乳幼児の肌のようにも感じる。緻密にざらついていて、けれど優しい。 昔読んだ本に書いてあった。 「玉ねぎの皮なんか誰にだって剥ける。トマトの皮を剥くことだ」 とても共感したかと言われれば、そういうわけでもない気もする。 でも結局、今日、私はそうやって、あなたの帰りを待っている。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!