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今年もやってきました。1年に一度、私たちが日本の主役になる季節が。老若男女が私たちと写真を撮りたがる春という季節が。
私、名をしだれ桜の桜子と申します。
桜子という名は、私のご主人様である、お寺の住職様からいただきました。私の住まいは、近所の桜並木や公園ではなく、とある歴史あるお寺の境内なのです。おかげさまで私は、他の桜たちが経験する、お花見の喧騒や、酔っぱらいからのちょっかいを経験することなくここまで生きてくることができました。私ももう、この世に生まれて300年です。老いた身には、あの滅茶苦茶なお花見の喧騒はこたえます。私を見に来る人々は、数人で連れ立って、静かに花見を楽しむ人々が多いのです。
それにしても、300年も生きていると、人の子の命がいかに儚いか実感せずにはおられません。
忘れられないのは、今から10年程前、若い男女のカップルがお花見にきた時のことでしょうか。
一見するとごく普通のカップルです。美男美女といってもいいでしょう。しかしよく見ると、男性の方が毛糸の帽子をかぶっているのです。毛糸の帽子をかぶっている人がお花見にくるのは初めてではありません。しかし多くは中高年以上の人が多く、翌年のお花見にくることは、まずほとんどありませんでした。
見るからに仲睦まじいその若い男女のカップルは、私の前に立ち、何枚も写真を撮っていました。何枚も、何枚も。
それから1年。また桜の季節がやってきました。たくさんの人々が私を見にお寺の境内を訪れます。家族連れ、友達同士、ゲイとおぼしきカップル。あらゆる人々が。しかしその中に、去年訪れたカップルはいませんでした。
やがて満開の時期がすぎ、花びらがはらはらと落ち始めた頃、その人は訪れました。例のカップルの女性の方です。連れはいませんでした。
女性はしばらく、私を見上げながら立ちつくしていました。やがて、女性の瞳に大粒の涙がたまり、透明な雫が頬をすべり落ちていきました。
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