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――いっぽうその頃。
(話には聞いていたが、確かに一筋縄ではいかなさそうだな)
自陣から弓張城を見上げ、能成は細い顎をなでた。これは彼が考えごとをするときの癖だ。目を細め、2度、3度と顎をなでる。
弓張城は高い山の中腹に立ち、険しい山に三方を囲まれている。城自体も三重の城壁と堀を築き、堀の中には杭が打ち込んである。見晴らしのためにあたりの木は伐採し、そのかわりに逆茂木がところ狭しと置かれている。枝が着いた木をそのまま置いただけのものであるが、馬や人の動きを止めるにはこれ以上ないほど役に立つ。
なかなか、攻めるのが難しい城だ。
弓張谷は小さく貧しい土地でありながら、いまだ誰の支配下にもおかれていない。その理由のひとつであった。
しかし、すぐに能成は表情を一転させ、にやっと笑った。
「……これぐらいがむしろ面白いかもしれんな。せっかく修練を積んできたというのに、あまりに落としやすい城では、奴らも物足りぬだろうよ」
「ええ。腕の振るいがいがありそうですね」
能成は少し驚いて振り返った。
「……いまのは独り言のつもりだったのだがな」
「申し訳ございません。お気に障られましたか」
「いや、流石の私もそこまで狭量ではない」
能成は苦笑する。彼の背後に控えていたのは、白い狩衣をまとった青年であった。
鼻筋の通った、美形と形容するにふさわしい顔立ちである。だが、狩衣というのは本来貴族が纏う装束。戦場にはふさわしからぬ格好だ。それに、青年自身にも妙なところがあった。よく通る声をしているが、男にしては高い。もしかしたら、男のような格好をした女かもしれない。
「ところで、斎よ。そのように答えるということは、準備は全て整っているとみてよいのだな」
「はい。不備はございません」
「左様か」
能成は軍扇を打ち鳴らした。彼が下知を下す合図である。
「そろそろ篝火を灯せ! 弓張谷の者は全て、生まれた時からの忍びぞ。忍びは夜襲・奇襲を得意とする。昼間にも劣らぬほどに明るくせよ。眠る時とて用心を怠るな!」
「はっ!」
彼のそばに控えていた家臣達がいっせいに動き出した。にわかに陣中が騒がしくなる。そんななか、ただひとり、斎と呼ばれた青年は弓張城を見上げていた。
「ついに、ついに来た、この時が。とうとう……。見ていて、父様。父様の無念は、絶対に晴らしてみせる。絶対に……」
どこか熱に浮かされたようなその言葉を聞いている者は、誰もいなかった。
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