魔法の言葉

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魔法の言葉

 そんなことがあった数日後の日曜日。  「あれ、お父さんは」  「今日は日曜日で本当は休みなんだけど、どうしても仕事が終わらなくて会社に行ったのよ。そうだ、前に話していたサッカーボールだけど今日買いに行く、お父さんからお金預かっているから」健太はしばらく黙っていたが「今日はいいや」としか言わず、冷蔵庫から冷やしたジュースを取り出し飲んでいた。  「それじゃ健太、青木ストアーにお買い物に行ってきてくれない」そう言うとお母さんは買ってきて欲しい物を書いたメモとお金を健太に渡した。  健太が青木ストアーに行く途中、朝日小学校の前を通ると校庭には同じユニホームを着たサンライズFCの子供達が沢山いて、そこには加藤先生や亮太もいた。別に逃げる必要など何もないのに、今の健太にとって、亮太達はそんな存在だったのか、健太は見つからないように急いで走り出した。  青木ストアーに着くと書いてあった物と一つだけ買ってもいいよと言われた大好きなジュースを買い物カゴに入れ、レジでお金を払い帰ろうとすると「健太」と誰かが呼ぶ声がしたので振り返るとそこにいたのは給食のおじさんだった。  「健太母さんのお手伝いか、えらいな」給食のおじさんはニコニコしながら話し掛け、「それじゃ健太、ご褒美におじさんがアイスクリームを買ってあげるよ、好きなのを一つ選んでいいぞ」  健太は、お母さんに怒られないかなと思いながらも、大好きな給食のおじさんのそんな言葉に嬉しくて、アイスケースの中をのぞきこんでいた。  「好きなアイスを選んでいいぞ」  なかなか決めることが出来ない健太を見て給食のおじさんは笑いながら、「こんなに沢山あったら迷っちゃうよな。健太おじさんはこのアイスが大好きなんだ」  給食のおじさんが取り出した一つのアイスは、いちごの絵が描いてある健太がまだ一度も食べたことのないアイスで、給食のおじさんはそのアイスを二つ手にするとレジでお金を払い、外のベンチに座り健太に手渡した。  「ほら、食べな」 そのアイスはイチゴの味に練乳の甘味が溶け込んだ健太にとってはたまらない美味しさだった。  「どうだ健太、このアイス美味しいだろう」  「うん」 その時の健太は、今まで給食のおじさんも見たことのない笑顔で、給食のおじさんもアイスを食べながらしばらく健太ことを見ていたが、ふと健太に話し掛けた。  「健太、学校は楽しいか?」  給食のおじさんがそう言うとそれまで美味しそうにアイスを食べていた健太の手がピタッと止まり、そのままうつむいてしまい残っていたアイスをスプーンで混ぜては時々口に運んでいたが、その目からは大粒の涙がこぼれていた。  「なあ健太、友達と一緒に遊びたかったら遊べばいいじゃないか」  給食のおじさんがそう言っても健太は何も言わずただうつむいたまま泣いているだけで、給食のおじさんがそんな健太の頭を優しくなでてあげているとそれまで黙っていた健太がポツリと一言口をひらいた。  「ぼくサッカー下手くそだから」  「何でサッカーが下手だと友達と遊べないんだ、おじさんなんかサッカーをやったこともないけど友達は沢山いるぞ」  黙ったまま何も言わない健太に給食のおじさんは少し笑っていた。  「でも友達と同じように出来ないと、なかなか自分からは仲間に入りづらいか。亮太が同じ四年生なのにあんなにサッカーが上手だからな。でも健太、おじさんが見ていて亮太達は健太一緒に遊びたいと思っていると思うぞ」  「え!」 健太は少し驚いたような顔で給食のおじさんを見ていると、「健太ちょっと来てごらん」。  給食のおじさんは立ち上がりお店の前の歩道の所まで歩いて行くと、そこからは朝日小学校の校庭が見え、校庭ではサンライズFCの子供達が一生懸命サッカーの練習をしていて、その中にいる亮太は両足を擦り傷だらけにして広い校庭を必死でボールを追いかけ走り回っていた。  「健太見てごらん、あれだけサッカーの上手な亮太だってあんなに一生懸命練習しているんだぞ、まだサッカーを始めていない健太が皆と同じようにできなくたって何も恥ずかしいことはないだろう。まあ、だからと言って失敗して笑われるのは嫌だと思うけどな。でもな、サッカーが好きでやってみたいと思っているんだったら、最初は失敗して少しぐらい笑われるのも我慢しないと、それに笑われたくなかったら一生懸命練習するしかないんだぞ」  給食のおじさんは、健太はサッカーが大好きで本当は皆と一緒にやりたいと思っているけど、亮太と同じように出来なくてどうすればいいのか分からず、逃げてしまっているのを分かっているかのようだった。  「なあ健太、おじさんがいいこと教えてあげようか」  「いいこと、何?」  「実はなおじさん魔法が使えるんだ」  「魔法?」健太はキョトンとした顔で給食のおじさんのことを見ていた。  「そう魔法だ、健太が友達と仲良く出来る“魔法の言葉”を教えてあげるよ」  「魔法の言葉?」  「そうだ、友達と仲良く出来る三つの魔法の言葉だ。まず一つ目は、朝友達に会ったら『おはよう』って言うんだ。そして二つ目、学校が終わって帰る時に『バイバイ、また明日ね』って」。  健太は黙って聞いていた。  「それと一番大切な三つ目…」  健太はずっと給食のおじさんを見ていた  「三つ目は…」そう言いかけた時、さっきお給食のおじさんが店で買った物が足元に落ちてしまったので、健太は落ちた物を拾っておじさんに渡した。  「ありがとう、健太」。  その言葉に健太は、ハッとしていた。  「そう、三つ目の魔法の言葉は“ありがとう”だよ。友達が健太のために何かしてくれた時に使う言葉だ」  健太は〝おはよう〟〝バイバイ〟〝ありがとう〟なんて当たり前に誰でも使っている言葉が何で魔法の言葉なんだろうと思いながらも、何だか不思議な気持ちになっていた。  「よし、そろそろ帰らないとお母さんが心配するな」  給食のおじさんと健太は立ち上がると歩き出したが、校庭で走り回っている亮太の姿をずっと健太は見ていた。  「きっと皆も健太のことを待っているぞ」  それは健太の心に響く、とても優しい給食のおじさんの一言だった。  家に帰り買って買ってきた物をお母さんに渡した。  「健太、ありがとう」。お母さんの言葉に健太はドキっとしていた。今まで当たり前のように使っていた“ありがとう”なんて言葉が、今の健太にはものすごく特別な言葉に思えて、その日健太の頭の中には、給食のおじさんの優しい声がずっと残っていた。  次の日の朝、健太はいつものように一人で学校までの道を歩いていた。いつもと変わらず周りの子は数人のグループで楽しそうに話しをしているが、誰も健太は声を掛ける子はいなかった。でも一つ違ったのは、今日の健太はうつむきながら歩いていているのではなく、顔を上げて真っ直ぐ前を見ていた。  健太が学校に着くと下駄箱の所に同じクラスで席が隣の美咲ちゃんがいて、健太は昨日の給食のおじさんの言葉を思い出し、少し恥ずかしかったけど思い切って言ってみた。  「美咲ちゃん、おはよう…」一瞬沈黙した美咲ちゃんはちょっとビックリした顔をしていたけど、すぐに「おはよう」と言ってくれて健太が上履きに履き替えていると、なんと今度は美咲ちゃんが健太に話しかけてきた。  「健太くん、この前の“加藤先生の謎解き問題”解った」  そんな美咲ちゃんにビックリしたのは健太も同じだった。  「うん、解ったよ…」小さくか細い声で答えた健太に、さっきよりビックリした顔で美咲ちゃんは健太のことを見ていた。  加藤先生の謎解き問題とは、先生が考えた色々事件を皆で推理してその謎を解決していく宿題で、なかなか本を読む習慣の無い子供達に、少しでも興味を持たせようと加藤先生が始めたことだった。  「昨日由美ちゃんとも考えたんだけど、全然解らなかった。最初は新聞配達の人が犯人だと思ったけど、違うよね」美咲ちゃんは先生が考えた事件の犯人が解ったという健太のことを不思議そうな顔をして見ていた。  「うん、あの人じゃないよ、でも今回の謎解きは難しいよね。ぼくも最初は全然解らなかったけど、文章をちゃんと読めばすぐに答えは分かるから後でヒントを教えてあげるよ」  「うん、じゃあ後で教えて」そう言うと美咲ちゃんは先に教室に行ってしまったが、健太もすごくドキドキしていてなんだか嬉しくてたまらなかった。  健太が美咲ちゃんの後を追うように廊下を歩いていると、後ろから「健太」と呼ぶ声がしたので振り返ると、そこには亮太がいて、なんだか恐い顔をして健太に向かって歩いて来たので、その顔を見ただけで亮太が何か怒っていることがすぐに分かった。  「亮太くんおはよう…」  オドオドしながらも、亮太にそう言いった健太の意外な一言に亮太は一瞬戸惑っていたが、すぐにいつもの勢いで迫ってきた。  「健太、お前金曜日のうさぎのエサ当番忘れただろう」  「あ!」  「お前が忘れたから、俺がやったんだからな」亮太は今にも健太に掴みかかってきそうな勢いだったが、健太の〝おはよう〟の一言が意外すぎたみたいで、「今度は忘れるなよ」と言い残すと教室に歩いて行ってしまった。  その時健太は昨日給食のおじさんが教えてくれた、友達が自分のために何かしてくれた時に使う魔法の言葉を思い出した。  「亮太くん、ありがとう」  亮太は振り返りビックリした顔で健太のことを見ていたが、そのまま何も言わずに行ってしまった。  健太は亮太が怒っていると思い、恐る恐る教室に入り横目でチラチラ亮太を見ながら自分の席に着き、ランドセルから教科書や筆箱を出していると、隣の席ではさっき下駄箱の所で話していた美咲ちゃんが、由美ちゃんと明人くんの三人で謎解き問題の話しをしていた。  「ねえ健太くん、この犯人本当に解ったの?」  「え!健太この問題の犯人解ったの」明人の大きな声に教室にいた皆が健太の方を一斉に見て、「何だよ明人、健太がどうしたんだよ」そう言いながら亮太や、クラス中の子が健太の周りに集まってきた。  「健太が謎解き問題の犯人解ったんだって」  「健太本当に解ったのかよ、嘘だろ。ちゃんと説明してみろよ」皆それぞれ言いたいことを言ってたが、健太が細かく話す説明を聞くと皆はビックリするように納得して「すげー健太、俺全然解らなかった」クラス中の皆がビックリしていて、健太はちょっとしたヒーロ気分だったが、この学校に転校してきてから自分の周りにこんなに沢山人が集まっているのは初めてだったので段々恥ずかしくなってきてしまっていた。  そんな時に加藤先生が教室に入って来ると最初加藤先生は皆が集まっているのを不思議そうに見ていたが、その中心にいるのが健太だと分かると少し不安になっていた。  「おはようございます」皆の大きな声が教室に響いていた。  「お!今日は皆元気がいいな、先生も元気に頑張ろうかな。それじゃ早速だけど、この前の謎解き問題の犯人が解った人はいるのかな」加藤先生絶対に解けるはずがないと自信満々だった。  「それじゃ解った人手を上げて」  「ハーイ」なんとクラス全員の子が手を上げていたその光景に先生はビックリしていた。  「おいおい、皆ふざけるなよ」加藤先生はビックリした反面、自分が必死で考えた難問だったので解けるはずがない、皆がふざけているとしか思えなかった。  「よーし、それじゃ、井上くん犯人は誰だか言ってごらん」  「犯人は見回りに来ていた警察官でしょ」明人は得意気に答えていた。  「な…、何で犯人が警察官だと思ったんだ」  見事に犯人を言い当てられた先生は、その理由をちゃんと聞くまでは納得出来ない様子だった。  明人は立ち上がり得意そうに説明を始めようとしたが、その時の亮太が「先生、この問題を解いたのは健太だよ」と口を挟んできた。  「え!山崎くんが」  今まで加藤先生は何回かこの謎解き問題を出していたが、いつも当てていたのは明人だったので、今回も明人が解いたのだと思い込んでいたのだが、亮太から解いたのは健太だと聞いてビックリしていた。  「それじゃ山崎くん、何でこの問題の犯人が警察官だって解ったんだい」  健太は少し恥ずかしそうに立ち上がり説明を始めたが、それは加藤先生が考えた通りの完璧な答えだった。  「いや~山崎くん凄いな、この問題は絶対に解らないと思っていたのに」加藤先生はショックを隠しきれないようだったが、席に座ってニコニコしながら隣の美咲ちゃんと話しをしている健太の姿を見た時に嬉しい気持ちになって来た。  それは加藤先生にとって初めて見るような健太の笑顔だった。  そして学校が終り帰ろうとする健太に美咲や明人が「バイバイ」と声を掛けていて、そして小さな声で健太も確かに「バイバイ」と言っているのを聞いた時、そんな些細なことが加藤先生は嬉しくなってしまい急いで給食室に走り出した。  「給食のおじさん…おじさんいますか」  大きな声に給食室にいた人達はビックリしていて、奥から出てきた給食のおじさんも驚いていた。  「どうしたんですか加藤先生、そんなに大きな声を出して」  「山崎くんが、いま山崎くんが皆と話しをしながら笑っていたんですよ、帰るときも小さい声でしたが確かに友達にバイバイって言っていたんですよ。もう何だか嬉しくて早く給食のおじさんに伝えたくて」  「そうですか、健太がそんなことを言っていましたか。健太のやつ早速始めてくれたんだ」  「あ!もしかしたら給食のおじさん、山崎くんに何か話しましたね」  「いやいや、大した話しはしてないよ。それより加藤先生、先生まで給食のおじさんって呼ぶのは止めて下さいよ、もう照れ臭くて」  「何言っているんですか、この学校に給食のおじさんのファンクラブを作りたいぐらいですよ、もちろん会長は僕ですよ」  「冗談はやめて下ださいよ加藤先生。でも良かった一歩前進ですね」  健太は帰る時に校舎の入り口にあるウサギ小屋を見に行き「この前はゴメンね」とウサギの頭を撫でながらずっと見ていた。  その日から健太は毎日ウサギ小屋を見に行くようになり、朝学校に来た時と帰る前にエサを忘れていないか気にするようになったが、でもそうやって気にして見ているとエサの当番を忘れている子は沢山いたのだった。そしてそんなことが日課になったある日のこと、健太はいつものように帰る前にウサギ小屋を見に行くと、やはり今日もエサの箱は空っぽだった。  「今日も忘れてる、これで三日続けてだ」 最初当番が忘れていた時は加藤先生に注意されていたから忘れていれば先生が絶対言っていたはずだし、今まで当番が忘れていた時誰がエサをあげていたんだろうと健太がそんなことを考えていると、そこに亮太がやって来た。  「亮太くん」  「なんだよ健太、さっき帰ったんじゃないのかよ」健太を見た亮太はちょっとビックリした顔をしていた。  この日健太はうっかりしてウサギ小屋を見ないで帰ろうとしてしまったが、すぐに思いだし戻って来たのだった。  「う、うん。でもウサギ小屋を見るのを忘れていたのを思い出して…え、亮太くんは今日日直じゃないよね」  「お前がそのまま帰ったから誰もウサギを見てないだろうなと思って見に来たんだよ、まったく皆忘れてやがってよ」  「それじゃ今まで当番が忘れた時エサをあげていたのは、亮太くんだったんだ」  「まったく健太がやらないと誰もエサをあげないからよ」  健太はもともと自分も当番を忘れたことを亮太に言われたのがきっかけでウサギ小屋を気にするようになったのだったが、健太がやらないと誰もエサをあげないなんて亮太が言ってくれたことがすごく嬉しく思えていた。  「亮太くん、ありがとう」  亮太は健太の横に座りこみビニール袋から何か取り出した。  「亮太くんそれ何」  「ウサギのエサだよ、昨日お母さんとホームセンターに行った時見つけたんだ、いつも同じゃ可愛そうだと思ってな」  「そんなのあるんだ、見せて」  亮太からエサの入った袋を受け取り見ていると、袋を開けてくれと言われた健太が袋を開けている間、亮太はウサギ小屋の扉を開けてエサの箱を洗ってくると、買ってきたエサを入れて小屋に戻した。  「亮太くん、いつもよりすごく美味しそうに食べてるよ」  「当たり前だろう、これ俺が選んだんだぞ」  二人がエサを食べているウサギ様子をじっと見ていると、亮太がこのウサギに名前をつけてやらないかと言い出した。  「ピョンタ」  健太がすぐにそんなふうに答えたので亮太はちょっとビックリしていた。  「あ、ゴメン。僕ウサギにエサをあげるようになってから勝手にピョンタって呼んでいたんだ。亮太くんの好きな名前でもいいよ」  「いいよ、それじゃあピョンタで決まりな」 亮太はランドセルを開けて自由帳を取り出すと一枚破り、その紙に鉛筆で大きく“ピョンタ”と書きその紙の上を少し折ってウサギ小屋の屋根のすき間に挟んだ。  「これでいいや、可愛い名前だよな」  それから二人はしばらくの間ピョンタのことを見ていが、健太は朝日小学校に転校して来て、亮太と二人でサッカー以外の話をこんなにするのは初めてだったけど、なんだかずっと前から亮太とは友達だったような不思議気持ちになっていた。  そんな時、後ろから亮太を呼ぶ声がしたので二人が振り向くと、そこには六年生の晴哉がいた。  「亮太そんな所で何やってんだよ」  晴哉もサンライズFCでサッカーをやっている六年生チームのキャプテン。晴哉の周りには他の六年生の子や、この前PK戦を一緒にやった祐樹もいた。  「ウサギの当番か、もう終わったんだろう、ちょっとこいよ」  晴哉は六年生チームのキャプテンなので、サンライズFC全体のキャプテンでもあったのだが、ちょっと意地悪なところがあり亮太もあまり晴哉のことが好きではなかったが、晴哉には誰も晴哉には逆らえなかった。  「亮太お前今度の五年と六年の練習試合に六年チームに入って出るんだって。お前が六年チームの足を引っ張って負けたら嫌だから俺が練習付き合ってやるよ」  サンライズFCでは、選ばれた子が一学年上のチームに入って練習をすることはあったが、練習試合とはいえ二学年上のチームに入ることは初めてのことだったので、晴哉は自分でも経験したことがないのに亮太が初めてそれに選ばれたことが面白くなかったのだった。  「祐樹、あいつ名前なんだっけ」晴哉は健太を指差していた。  「健太だよ」  「あいつだろ、サンライズFCに入るって言って全然入らないヤツって。ちょうどいいやお前も来いよ、俺がサッカー教えてやるよ」  二人は強引に校庭のサッカーゴールの前に連れて来れた。 「ちょうどゴールキーパーの和也と隆司がいるから、俺と亮太の一対一のPK戦やるか。和也は俺のチームで隆司は亮太のチームな、交代で五本ずつ蹴るからな。祐樹ホイッスル持ってるんだろ審判やれよ」  晴哉は一人で色々勝手に決めるとボールをサッカーゴールの前に置いた。  「亮太、お前から蹴らしてやるよ」  亮太は晴哉が置いたボールの前に立ちゴールキーパーの和也をじっと見ていた。和也も必死で自分が亮太のシュートを止められないで負けたら後で晴哉に何を言われるかが分かっていたから和也も両手を左右に大きく広げて亮太のことを睨み付けていた  「ピー」祐樹のホイッスルが鳴り、亮太はゆっくりと助走をつけボールを蹴ると和也は一歩も動けず、そのボールは凄い勢いでゴールネットを揺らした。  「和也、お前亮太の味方するのかよ」晴哉の大きな声が校庭に響いていた。  「ご、ごめんなさい」晴哉の迫力に和也も脅えていた。  「今度は俺の番だな、隆司早くゴールに入れよ」晴哉にそう言われた隆司だったが、なかなか動こうとせず、「何やってんだよ隆司、早くしろよ」とイライラしている晴哉の大きな声にとうとう隆司は泣き出してしまった。  「晴哉くん、隆司はこの前の練習の時突き指しちゃたんだよ、だから今キーパーやるのは無理だよ、加藤先生にも治るまでやっちゃダメだって言われてるんだよ」審判をやらされていた祐樹も恐々晴哉に話した。  「ちぇ、早く言えよ。それじゃキーパーどうするんだよ、この中じゃキーパーをやってるヤツはいないし、面倒くせいから誰でもいいから亮太お前決めろよ」  晴哉はふて腐れた顔をしながら亮太を見ていた。 「亮太早く決めろよ、どうせ俺のシュートを止められるヤツなんていないから誰だって一緒だよ、誰にすんだよ」  「健太、キーパーやってくれよ」  「え!」  健太はビックリしていたが、周りの皆はもっとビックリしていた。  「キーパーなら手が使えるんだからお前にだって出来るだろ」亮太にそう言われても健太はどうしたらいいのか分からない様子だったが、祐樹にもやってみろよと言われシブシブゴールキーパーをやることになってしまったが、自分が止められなかったら亮太くんが負けちゃうというプレッシャーで心の中はいっぱいだった。  「誰がやっても一緒だよ、健太早くしろよ」イライラした様子で晴哉に睨み付けられていた健太は、恐る恐るゴールの前に立たされた。  その様子を職員室の窓から見ていた加藤先生は、晴哉が亮太にライバル心をも燃やしていることを知っていたので、健太まで引っ張り出されて嫌な雰囲気になってきたことを心配していた。  晴哉のサッカーのプレーは六年生の中でもずば抜けていて、きっと来年中学に行っても必ず一年生のうちにレギュラーになれるはずだと加藤先生は思っていたが、でもそんな晴哉でさえも内心亮太のプレーのレベルの高さには驚くとこがあって面白くなかったのだった。  加藤先生はPK戦を止めさせようと職員室を出ると小走りに校庭に向かったが、靴に履き替え外に出ようとしたときに誰かが加藤先生のことを呼ぶ声がしたので振り向くとそこには給食のおじさんが立っていた。  「加藤先生どうしたんですかそんなに急いで」  「あ、給食のおじさん、あれを見て下さい、六年生の晴哉が亮太にちょっかいを出しているんですよ」  「ちょっかい?先生、私にはサッカーをやっているふうにしか見えませんが」  「そうですけど、健太まで巻き込まれているのですよ」  「分かっていますよ。でもさっきからここでずっと見ていたんですけど、健太をキーパーに指名したのは亮太なんですよ」  「え!亮太が」  「先生、これを見て下さい」給食のおじさんはウサギ小屋を指差していた。  「ピョンタ?何ですかこれ」  「さっき健太と亮太が二人でエサをあげながら書いていたのですよ」  「健太と亮太が、二人で…」  「加藤先生、私も晴哉がどんな子か大体分かっているつもりです。今あの中で晴哉に逆らえる子はいないでしょうし、誰がゴールキーパーをやっても本気で晴哉のシュートを止めようとはしませんよ。亮太だってそれぐらいのことは分かっているはず、だからこそ亮太は健太にゴールキーパーをやってほしかったんじゃないでしょうかね。出来るか、出来ないかは別としてですけどね」  「でも、いくらなんでも健太に晴哉のシュートは止められないでしょ。下手したら怪我しちゃいますよ」  「加藤先生、亮太だって健太が止められるとは思っていませんよ、ボール触れることも出来ないんじゃないですか。ただ、今の健太ならきっと本気で止めようとしてくれると思っているんじゃないでしょうかね。亮太だって自分が勝つには全部シュートを決めて、晴哉が外さない限り自分に勝ち目は無いことぐらい分かってますよ。加藤先生、まあ喧嘩をしている訳ではありませんからこのままやらせてみましょうよ」  「は、はい…」  加藤先生と給食のおじさんは子供達に見つからないように校舎のかげからPK戦の様子を見ていた。  「いいか健太、いくらサッカーをやっていないお前だからって手は抜かないからな、いくぞ」  晴哉は健太にそう言うとボールを置き祐樹のホイッスルが鳴ると晴哉が思い切り蹴った。健太もなんとか止めようとしたが、ネットを突き破るような勢いのボールに触れることさえも出来かった。  「楽勝だよ、相手にならねえな」  晴哉はボールを拾い亮太のほうに歩いて来る健太を鼻で笑っていた。  「亮太くんゴメン」  「次は止めてくれよ」  亮太はそう言うと健太からボールを受け取った。  健太は少し後ろに下がって亮太を見ていたが、次は止めてくれよと言ったその一言が健太の心を動かした。  健太はサッカーが大好きだったが、それはテレビの中のことで、世界中の有名な選手達が繰り広げるスーパープレーを食い入るように見ていた。実際はボールを上手く蹴ることすら出来ない自分と、同級生なのにずば抜けてサッカーの上手な亮太との違いに本当はサッカーをやってみたいと思ってはいたけど、どうしてもその中に飛び込むことが出来なかった。でもこの前給食のおじさんと一緒に見た擦り傷だらけの足で一生懸命練習している亮太の姿。そしてその亮太が今自分に晴哉くんのシュートを止めて欲しいと思っている。健太は今までサッカーをテレビで観て興奮していたが、今その中に自分がいることに、これまで経験もしたことのないような熱い思いが込み上げていた。  「亮太くん決めてくれ」健太は心の中でそう叫んでいた。  祐樹のホイッスルが鳴り、亮太が放った二本目のシュートはゴールの右隅に決まり、完全に逆を突かれた和也は、また止めることが出来なかった。  健太は小さくガッツポーズをすると小走りにゴール前に向かった。  「なんだコイツ、やる気だけはあるみたいだな」晴哉は健太を見ながら笑っていた。  そしてホイッスルが鳴り、晴哉が蹴った二本目のシュートはまたしても健太の手にかすることなくゴールネットを揺らし、そして三本目も二人はゴールを成功させた。  亮太の期待に応えようと健太も必死に頑張っていたが、ボールに触ることすら出来ず、健太の肘はもう擦り傷だらけで、うっすらと血が滲み出していた。    「健太凄いですね、なかなか頑張っていますよ。もう加藤先生も気が付いているんでしょ」  「はい、きっと私達が今思っていることは一緒だと思います」  「さすが名門サンライズFCの名コーチだ、健太の反射神経、瞬発力は並大抵のものじゃないですよ。確かに晴哉のシュートに触れることも出来ないけど、今までの三本全てボールの方向に反応していますからね。晴哉のシュートはもう中学生以上のレベルですよ、そのシュートに対してこれだけ反応出来るのですから凄いですよ。五年生の和也より反応が良く見えてしまうというのは大げさでしょうか」  「いや、給食のおじさんそんなことないですよ、私も今まで沢山の子供を見て来ましたが、こんな子は初めてかもしれません。しかも健太はまだサッカークラブにも入ってないのに。本当のこと言うと、初めて亮太を見た時より今驚いていますよ」  「加藤先生、いや今は加藤コーチと呼んだ方がいいのかな。健太が他のスポーツに興味を持つ前に早いとこサンライズFCに本気で誘ったほうがいいんじゃないですか。ちょうど四年生にゴールキーパーをやりたがっている子もいないことだし」  「そうですね。それにしても給食のおじさん、よくそんなことまでご存知ですね」  「いやいや、私の住まいはすぐそこですから。実はよく日曜日の練習をその辺から見させてもらっているんですよ」  「なんだ、そうだったのですか。そんな遠慮しないでグランドに入って来て下さいよ、きっと子供達も喜びますよ」  「ありがとうございます。そんなことより亮太が四本目を蹴りますよ」  亮太はボールを置くと少し後ろに下がり祐樹のホイッスルが鳴るのを待っていたが、晴哉が和也を呼ぶと二人は亮太ことをチラチラ見ながら何やらヒソヒソ話をしていて、それを見ていた加藤先生は晴哉が何かたくらんでいるとすぐに思っていた。  「晴哉の奴何たくらんでいるんだ、全くしょうがない奴だな」  「まあまあ加藤先生、このまま見ていましょうよ」  二人の話しが終わり和也がゴールに戻ると、晴哉はニヤニヤ笑い亮太のことを見ながら「いいか和也、俺の言った通りにやれば絶対止められるからな」と亮太に聞こえるようにわざと大きな声で和也に話し掛け亮太にプレッシャーを与えていた。  ホイッスルが鳴り、亮太は助走を付けてボールを蹴ろうとしたその瞬間、和也が急に右側に動いたので、その動きを見た亮太はゴール左側を狙おうとしたが、今度は和也が左側に動いた。和也が最初に右に動いたのではフェイントで、その動きに慌てた亮太は左側ゴールポストのギリギリを狙ってボールを蹴ろうとした瞬間「ハクションン」と大きなくしゃみを晴哉した。もちろん晴哉のくしゃみは亮太を驚かせるためにわざとしたもので、亮太の蹴ったボールは鈍い音をあげてゴールポストに当たってしまった。  「和也俺の言ったとおりだろ、作戦大成功だ」晴哉はガッツポーズをしてもう勝ったような喜びようだった。  「あれあれ、亮太やっちゃいましたね」給食のおじさんも苦笑いをしながらその様子を見ていた。  「まったく晴哉奴いつもチームの仲間を大切にしろと言っているのに、六年生キャプテンのあいつがあれじゃ」  「まあまあ加藤先生そんなに怒らないで下さいよ」  「でも給食のおじさん、もう止めさせます。コーチとしてあんな手を使う晴哉は許せません」  PK戦を止めさせようと歩きだした加藤先生の腕を急に給食のおじさんが掴んだので振り返ると、そこにいたのは普段生徒たちのことを優しい瞳で見守っている目ではなく、先生も驚くほど鋭い視線で校庭見ている給食のおじさんだった。  「加藤先生、最後までやらせてみましょうよ」  「は、はい…」加藤先生はもはや子供達のPK線より、今まで見たこともない鋭い視線の給食のおじさんのほうに気を取られていた。  「これで分かりましたね、晴哉がどれだけ健太に脅威を感じているかが。止められてはいないが、自分のシュートにあれだけ付いて来られている健太に。今の晴哉のライバルは亮太じゃなくて健太なのですよ」  「健太が…、晴哉のライバル」  「そうですよ、晴哉だってもう分かっているんですよ、健太の凄さを。だからあんなことをしてでも優位に立っておかないと不安なんじゃないですか。普通に考えれば、健太に晴哉のシュートを止められるはずがない、何もしなくたって引き分け以上は確定ですよ。でもあんなことをしておかないと、もしかするとこの勝負負けてしまうこともあり得るって考えてしまうほど、健太の動きは予想外だったのでしょうね。それに加藤先生、亮太だって世界に出ればもっともっといろんなことがあるでしょう。確かに今の晴哉くしゃみはフェアじゃないけど、こんなの可愛いものでしょう」  「世界って…給食のおじさんまだ四年生ですよ、まあ確かにスペインやイタリアのビッククラブが日本の子供を育てる環境を作ったりはしていますが、亮太だってまだまだそんな世界だなんて」  「そうですかね加藤先生、そりゃ私にはそんな組織のことは分かりませんが、亮太を見ていると将来あの子が日本代表のユニホームを着ている姿が想像出来るのですよ、こうやって目を閉じると背番号11を付けた大人になったあの子の姿が」  加藤先生は黙ったまま給食のおじさんのことを見ていた。  「さあ加藤先生、晴哉の四本目ですよ」  ゴール前にボールを置いた晴哉は後ろに下がり健太のことを睨み付けていました。でもそんなことより健太は亮太がシュートを外してしまったことで明らかに動揺していた。  「僕が止めないと亮太くんが負けちゃう」  健太にとって六年生の晴哉のもの凄い勢いで飛んで来るボールが怖かったが、「次は止めてくれよ」と亮太言われた健太の心の中はどうしても止めたいという気持ちで溢れかえっていた。  祐樹のホイッスルが鳴り、軽く助走を付けて蹴った晴哉のシュートは勢いよくゴールネットに突き刺さったが、その時の健太の動きに誰もが驚いた。またもボールの方向に反応した健太の指先がかすかにボールに触れ、当然晴哉もそれには気付いてたが、小さくガッツポーズをしただけで何も言わずに後ろに下がって行った。  「見ましたか給食のおじさん、健太今ボールに触りましたよね」加藤先生も興奮していた。  「はい、指先だけわずかですが確かに触りました、凄いですよ健太は。何だか変なJリーグの試合を見てるより興奮してきますよね」  「給食のおじさん、まさか日本代表のユニホームを着ているゴールキーパーの健太の姿が見えるなんて言わないでしょうね」  「はい、今は見えますよ。でもそれは私の希望なんでしょううけどね」  「全くここは凄い小学校ですよ、将来の日本代表の選出が二人もいるのですから、それと予言者が一人ね。さあ最後ですね、亮太が決められなければその時点で負け。ゴールを決めて、後を健太に託すかですね」  亮太はホイッスルが鳴るのを待っていたが、今度は何があっても焦らないように気持ちを落ち着かせ、ホイッスルが鳴るとさっき外した左側にシュートを決め、無表情で下がって行った。  そんな亮太の姿を加藤先生と給食のおじさんは苦笑いをしていた。  「亮太の奴さっき外したのがよっぽど悔しかったんでしょうね。だからあえて同じ左側、しかもゴールポストギリギリに蹴りこんだ。晴哉に対しての無言のプレッシャーですよ。さあ加藤先生、後は健太次第ですね」  健太はゆっくりとゴールの前に歩いて行き、振り替えるとそこには今まで以上に大きく見える晴哉が既にボールを置いて立っていた。健太は恐くてしょうがなかったが、そんな恐怖心は亮太一言で吹き飛んだ。  「健太、止めてくれよ」  その言葉に健太は目を見開き、晴哉の顔を睨み付けた後はただボールだけを見ていた。  「亮太くんが僕に、僕に止めてくれよって言っている」健太は目の前のボールだけに集中し、ホイッスルが鳴るのを待っていた。  そしてホイッスルが鳴り、晴哉が助走を始め思いっきり蹴ったボールは左ポストギリギリにコントロールされていたが、健太はドンピシャのタイミングで飛びつき完全にボールは健太の手の中に納まり誰もが健太がボールを止めたと思ったが、でも勢いのある晴哉のシュートは健太の手を弾いてゴールに吸い込まれてしまった。  一瞬の出来事ではあったが、誰もが自分の目を疑っていた。  「ヤッター」そう叫びながら晴哉はガッツポーズをし、和也もホッとした表情でそんな晴哉ことを見ていた。  「だいたいサッカーをやったこともない健太に俺のシュートが止められるわけないだろう、もういいやこいつら相手にしてもつまらねえよ、行こうぜ」  晴哉はそう言うとその場にいた他の六年生の子達と行ってしまった。  「惜しかったですね加藤先生、健太は完全に止めてましたよ。ただ実際サッカーをやったことのない健太には晴哉のボールにどのくらいの勢いがあるのかが分からなかった、せっかく手がとどいていたのにボールの勢いに負けてしまった。もう少し腕の力があったら完全に止めていましたよ」  「はい、しかも晴哉も今本気でしたよ。そのシュートにあそこまで完璧に追い付くなんて、健太は山をはって動いたわけじゃないですからね。晴哉だって分かっているはずですよ、最初はあれこれ言いながらやっていましたが、あれだけ健太に付いてこられたら本気になるでしょう」  「そうですね、でも本気だったのは健太も一緒だったみたいですよ。健太は本気で晴哉のシュートを止めようとしていたみたいですね、加藤先生見てくださいよ。まるで一試合全力で戦い抜いた選手みたいじゃないですか」 健太はゴールの前でそのまま寝そべっていた。 両膝を立てて腕を広げ、上を見ながら大の字になって寝ている姿。きっとそれは健太がテレビで見ていたサッカーの一つのシーンだったのか、試合には負けてしまったが、全力を出しきった選手がピッチ上に崩れるように倒れていく。勝利に喜ぶ姿と同じように、きっとそんな選手の姿が健太の心の中に焼き付いていたのだろう。  「きっともう誰もいないんだろうな」  両肘は擦り傷だらけで、こんなに服も汚しちゃってお母さんになんて言おうと健太は静かに目を閉じながらそんなことを思っていた。  「でも、楽しかったな」 負けてはしまったけど、今まであじわったことのない興奮が健太を包み込んでいた。  でも晴哉のシュートを止めることができず、一人残された健太を今度は寂しさが包み込み、閉じたままの目には薄っすらと涙がにじんでいたが、ゴール前に寝そべっていた健太は自分の頭の近くに人の気配を感じ、目を開けてみるとそこには亮太が立っていた。  「健太、大丈夫かよ」亮太は手を差し入出し、健太はちょっとビックリしていたが亮太の手に捕まり立ち上がると、そこには祐樹や和也達も頑張った健太を笑顔で見ていた。  「惜しかったよな、完全にボールに手がとどいていたのにな」健太の周りに皆が集まって来た。  「今四年にゴールキーパーがいないから健太なら出来るよね、祐樹くん」亮太は健太の服に付いた土を払っていると、祐樹も健太に近づいて来た。  「健太、俺がサッカー教えてやるよ。だから一緒にやろうぜ」  自分の周りに沢山友達が集まって来てくれるなんて、健太にとっては信じられないことで、その顔は笑顔でいっぱいだった。    「加藤先生どうやら私達は一つ見込み違いをしていたみたいですね、健太は頑張っていたけど、晴哉シュートを止められるなんて誰も思ってないでしょと話していたじゃないですか」  「そうですね、いくらなんでも今の健太に晴哉のシュートが止められるなんて誰も思いませんよ」  「でもただ一人、亮太だけは健太なら止められる、止めてくれると思っていたみたいですね」  加藤先生はその話に深くうなずいていた。  「給食のおじさん、実は先月やった体力テストの結果が届いたのですが、やはり学年でトップだったのは亮太でしたが次は誰だったと思います、健太ですよ。しかも種目によっては亮太を上回っているものもあったのですよ。二人の総合評価は六年生でも上位に入るレベルでしたね。そう言われれば亮太の奴、体力テストの結果表を誰よりもずっと見てたんですよ。きっと健太と自分の成績を比べていたんでしょうね」  「亮太は誰よりも先に健太の力を見抜いていたってことですか。やっぱ亮太は凄い能力を持った、末恐ろしい子かもしれませんね。加藤先生楽しみが増えましたね。将来の日本代表は先生にかかっていますよ、お願いしますね」  「やめて下さいよ、でも私もそれくらいの気持ちでやらないといけないですね。それじゃ将来の日本代表のゴールキーパーをスカウトに行って来ますよ」  「そうですね早いほうがいい、今が絶好のチャンスですよ」  加藤先生は健太の達の所へ歩き出したが、少し歩くと立ち止まり後ろを振り帰った。  「給食のおじさん、一つだけ伺ってもいいですか。前に健太と話をしたって言っていたじゃないですか、いったい何を話したのですか」  「大した話はしていませんよ。ただ健太に私が知っている魔法を教えてあげただけですよ」  「魔法?何ですかそれ」  「だから魔法ですよ。健太が友達と仲良く出来る魔法の言葉、健太はその魔法を使ったのですよ」  「そうですか、魔法の言葉ですか」  加藤先生はニコッと笑うとそのまま健太達の所に歩き出した。  「おーい、そんな所に集まって何しているんだ」  「あ!加藤先生だ、先生健太がサンライズFCに入りたいんだって」亮太は加藤先生に向かって大きな声で叫んでいた。  今までやっていたPK戦をずっと見ていた加藤先生だが、健太を見てビックリした振りをしていた。  「どうしたんだい山崎くん、そんなに服を汚して。腕だって擦り傷だらけじゃないか」  「加藤先生、僕サンライズFCに入って皆と一緒にサッカーをやりたいんだ、だから今サッカーを亮太くん達に教えてもらっていたんだよ」  その時の健太は加藤先生にとってまるで別人のように見えていた。  「よ~し健太、サンライズFCは厳しいからな。一生懸命練習するんだぞ」  「はい」そんな健太の元気のいい返事に亮太達も大喜びだった。  「先生、健太の背番号は何番にする」  「ゴールキーパーだからやっぱり1番だよな」  亮太や祐樹達も皆そんな話で盛り上がっていた。  「でもその前に健太、サンライズFCに入るには、先生がお父さん、お母さんとちゃんとお話をしなくちゃいけないんだ。だから今日家に帰ったらお話をして、先生に電話をしてと伝えてくれるかな」  「うん」  その時の健太の笑顔は、朝日小学校に転校してから、今まで誰も見たことのない笑顔だった。  「それじゃ皆、今日はもうサッカーの練習は終わりにしなさい。気をつけて帰るんだぞ」  「先生さようなら」  健太達はランドセルを持つと元気よく走り出し、時々振り返りながら亮太達と楽しそうに話をしていたが、その姿はまるでずっと前から友達だったように加藤先生には見えていた。  「加藤先生良かったですね」  「給食のおじさん、まだいらっしゃったのですか」  「当然ですよ、あの子がこれから成長して、どんな青春時代を過ごしていくのか楽しみで仕方ない。あの子が大人になってもサッカーをやっているかどうかは分かりませんが、健太が後で振り返った時に、今日という日は間違いなくあの子にとって特別な日になっているはずですよ。そんな健太の特別な日をしっかりこの目に焼き付けておきたいのですよ。加藤先生見てくださいよ、健太のあの元気な後ろ姿。一人ぼっちで校庭の隅っこに座っていたのが嘘のようだ」  「本当にそうですよね。でも前からお聞きしたかったのですが、なぜ健太のことがそこまで気になるのですか。まあ元はと言えば健太が学校になじめず孤立してしまっていたのは我々教員の力不足だったのでしょうけど」  「いやいや、加藤先生そんなことはないですよ、先生方は皆さん一生懸命やられていますよ。そうですね、健太のことが気になるのは私に似ているからですかね。私も子供のころ仲間外れになっていたことがあってね、今みたいに〝イジメ〟なんて社会的に問題になっている時代じゃなかったから先生達も子供の喧嘩ぐらいにしか思ってなかったでしょうけど。でも孤立している私を気にして先生達は優しくも、厳しくも接してくれたのですよ。学校に行きたくない時もあったけど、それだけが救いでしたね。まあ、私の場合は性格も悪かったのでしょうけどね」  「性格が悪いなんて何言っているんですか。でも給食のおじさんにもそんなことがあったのですね」  「先生方が頑張っていらっしゃったからこれまでイジメのような問題はおこらなかった。だからこそ一人で寂しそうにしている健太が妙に私の中で目立ってしまったのですね。そんな健太がよく給食室に来てくれたから、私もほっておけなかったのですよ」  「我々教員にとっても給食のおじさんの存在は大きかったですよ、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします」  「そんな礼を言われることじゃないですよ。ただこのさいだから加藤先生には話しておきますが、実は私昔からに持病がありましてね。色々と治療はしてきたのですが今左目はほとんど視力がないのですよ。完全に失明してしまうことは無いだろうと言われていますが、いつ右目も見えなくなってしまうか。だから少しでも健太の元気な姿をこの目に焼きつけておきたいのですよ。今まで私が健太の心の支えになっていたのであれば、これからの支えは加藤先生ですね。バトンは渡しましたよ、加藤先生お願いしますね」  突然の給食のおじさんの告白に加藤先生は驚きを隠せない様子で、その目にはうっすらと涙がにじんでいた。  「わかりました、私もあの子達が本当に将来日本代表のユニホームを着られるように、その姿を見られるよう夢見て今まで以上に頑張ります。ただ、一つだけお願いがあります、サンライズFCの特別コーチを引き受けて頂けませんか。保護者の方には私から話 ておきます。子供達の栄養管理等ささいなことでかまいません、子供達のことを気にしてあげていただけませんか。もちろん都合のつく時だけでかまいません、だからいつでもグランドに子供達を見に来て下さい」  「加藤先生、ありがとうございます」   これは加藤先生の給食のおじさんに対しての心からの配慮だった。  こうして健太は亮太のいるサンライズFCに入ってサッカーを始めることになりましたが、給食のおじさんの言ったとおり、健太にとってこの日は忘れられない一日になったことでしょう。  
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