夢の始まり

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夢の始まり

 学校の帰り道を健太と亮太は走っていた。 何を急いでいるわけではなかたが、二人の気持ちの昂ぶりが自然とそうさせていた。  「健太、バイバイ」  「亮太くん、また明日ね」  健太は玄関を開けて家に入ると大きな声でお母さんを呼んだ。「ただいま、お母さんもう買い物に行っちゃったの」  「お帰り健太、どうしたのそんなに大きな声だして。健太その服はどうしたの」玄関に立っている全身泥だらけで、腕や足に擦り傷がある健太の姿を見てお母さんは驚いていた。両肘は擦りむいた傷があり、うっすらと血がにじんでいる健太姿を見たとき、お母さんの頭の中には〝イジメ〟という言葉がすぐに浮かんでいたが、健太の明るい表情を見てすぐにその不安は消えていた。  「お母さんぼくサッカーボールが欲しいだ、お父さん買ってもいいって言ってたよね、早く買いに行こうよ。それと、亮太くんが入っているサッカーチームに入りたいんだよ、いいでしょ。だから早く加藤先生に電話して」  突然そんなことを言い出した健太にお母さんも最初は戸惑っていたが、健太の明るく元気な姿にお母さんまでも、居ても立っても居られなくなってしまった。  「分かったよ、それじゃ先生に電話するね」お母さんはテーブルの上に置いてあった携帯電話で加藤先生に電話をすると、加藤先生は電話が来るのがあまりにも早かったのでビックリしていた。  「お母さん山崎くんの服の汚れかたを見て驚かれたでしょう、すいません心配かけちゃいけないと思って帰る前に私から電話をした方がと思っていたのですが、他の電話が入ってしまいご連絡出来ずにすいません」  「いえいえ、確かに最初は驚きましたが、健太の明るい顔を見てすぐに安心しました。でも先生いったい何があったのですか。急にサッカーボールが欲しいとか、先生のチームに入りたいって言い出しているのですよ」  「そうですか、それは良かった。服の汚れですが、サンライズFCの上級生の子が高橋くんとサッカーの対決をするなんて言い出したらしくて、それに山崎くんも加わって少し頑張り過ぎちゃったんですよ。でも山崎くん凄かったですよ、負けはしましたが山崎くんの頑張りに皆ビックリしていましたから。コーチとしても是非山崎くんと一緒にサッカーをやりたいと思っていますよ。ユニホーム等少しご負担いただかないとならない物もありますが、山崎くんにサッカーをやらせてあげて下さい」  「そんな先生、こちらこそ健太をよろしくお願いします」  「お母さん、ありがとうございます。早速ですが今度の土曜日10時から学校の校庭で練習がありますから都合がよければ参加させて下さい。まだ四年生なので皆さん御家庭の都合で参加していますので、その辺は気になさらないで下さい。その後の練習のスケジュールは追ってご連絡しますので」  「先生、本当にありがとうございます」お母さんが先生と電話で話している間健太はずっと横で聞いた。  「お母さん先生何だって」  「先生も健太と一緒にサッカーをやりたいんだって、健太よかったね」  「やったー、お母さん早くボール買いに行こうよ」  その時携帯電話が鳴りだし、画面を見るとそれは五年生の祐樹くんのお母さんからの電話だった。  祐樹のお母さんの明子と、健太のお母さんの友利子は学校の役員の仕事で一緒になったのがきっかけで、よく連絡を取り合っていて、友利子は健太の学校のことなども明子に相談したりしていたのだった。  「友利子さん健太くんがサッカー始めるって本当、今祐樹が帰って来てそんなこと言っていたんだけど」  「そうなの明子さん、今日学校でサッカーをやっていたみたいで。何だかよく分からないけど、服を真っ黒にして帰って来たと思ったらサンライズFCに入りたいって、今加藤先生とも話していたとこなのよ、加藤先生は健太が頑張り過ぎちゃっただけですよって言っていたけど、何があったのか知ってる」  「それがね、サンライズFCの六年生に井上晴哉って子が居るんだけど、どうやらその子が亮太くんにちょっかいを出したみたいなのよ。亮太くんが注目され出して今すごいでしょ。何だかそれが面白くないみたいで、二人でPK戦をやることになって、亮太くんチームのゴールキーパーを健太くんがやることになっちゃったみたいなのよね。ごめんね、祐樹も一緒にいたんだけどやっぱ六年の晴哉くんには誰も逆らえないみたいでね。でも良かったね、結果オーライかもしれないけど健太くんがサッカーを始めるきっかけになって」  「本当にそうです、明子さんこれからもよろしくお願いします。明子さんには色々助けてもらっているけど、今は本当に明子さんが頼りなんですよ」  「助けているだなんてとんでもない、こちらこそよろしくね」  「お母さん早く行こうよ」なかなか終わらない電話に健太はもう待ち切れない様子だった。  「友利子さん本当にありがとう、横で健太がボールを早く買いに行きたくてしょうがないのよ、これから買いに行って来るね」  「あ、ごめんね。それじゃ土曜日にね」  健太もお母さんも笑顔でいっぱいだった。  そして土曜日の朝健太はとりあえず揃えた練習着と、はきなれた運動靴を履くと家を飛び出して行った。  「健太気を付けていくのよ、お母さんも後で見に行くからね」  でも今の健太にそんなお母さんの言葉などは耳に入らなかった。健太が外に出ると家の前には亮太が立っていて、「早く行こうぜ」と声をかけると二人は学校へ走り出した。  健太と亮太が学校に着くと、加藤先生や祐樹達も来て、他の子は遊んだり、校庭に座り込んで話しをしたりしているのに、亮太はもうサッカーがしたくてたまらない様子で、すぐにボールを取り出すと数人の子を誘ってパス回しを始め、近くで見ていた健太に「健太何やってんだよ、早く入れよ」と呼び寄せた。健太も喜んでその輪の中に入ったが、相変わらずミスばかりしていたけど、健太がミスをするたびに亮太が「健太違うよ、今のはここで蹴ればいいんだよ」と自分の足を指差しながら教えていて、健太も亮太の言うことを聞き、何度失敗しながらも一生懸命ボールを追いかけていた。  そんな姿を校庭の隅で見ていた祐樹のお母さんが、健太のお母さんが来たのを見つけるとすぐに駆け寄って来た。  「友利子さんこっち、こっち」  「あ、明子さん」  「友利子さん、健太くんあそこにいるよ」  友利子の視線の先には四~五人のグループの中で一緒にボールを蹴っている元気な健太の姿があり、そんな姿を見た友利子の目にはもう涙が溢れてきていた。  「友利子さんまだ早いよ、始まったばかりじゃない。でも気持ちは分かるけどね」そんな明子も目を赤くしていたが、そこに亮太のお母さんが近づいて来た。  「いつも亮太がご迷惑をおかけしているみたいで本当にすいません」  「迷惑だなんて、かえって健太のほうが面倒をみてもらっているはずですよ」  「そんなことありませんよ、今まで家ではあまり友達のことなど話さなかったのに、最近は健太くんのことばかり話すんですよ。この前も健太くんとウサギにエサをあげるからこれを買ってとか、おとといあたりから健太くんがサッカーを始めるって家で大はしゃぎしていたんですよ」  「亮太くんが、そうだったんですか」友里子の瞳からはもう大粒の涙が止まらなかった。  そんな話しをしている所へ加藤先生がやって来た。  「山崎くんのお母さん、いよいよ始まりますね」  「加藤先生健太のことをよろしくお願いします」  「大丈夫ですよお母さん、見て下さいあの山崎くんの元気な姿を、もうすっかり溶け込んでいますよ。これから色々ご協力頂くことが多いと思いますが、こちらこそよろしくお願いします。それじゃ練習が始まりますので」  加藤先生は少し頭を下げると皆の所へ走って行った。  「よーし皆集まれ、それじゃ山崎くん前に来てごらん。もう皆知っていると思うけど、今日から山崎くんがサンライズFCに入って皆と一緒にサッカーをやることになりました、皆よろしく頼むな。それじゃ山崎くん皆に挨拶できるか」  「山崎健太です。一生懸命頑張ります、よろしくお願いします」  健太のとても元気な挨拶に、皆は拍手で健太のことを迎えてくれていた。  「それじゃ亮太、今日は健太と一緒に練習をしてやってくれ」  「ダメだよ、健太はゴールキーパーなんだから和也くん達と一緒に練習した方がいいよ」  「亮太いくらなんでもそれは早いな、健太はサッカーを始めたばっかりなんだから、まずは基本をちゃんとやらないとな」  加藤先生の言うことは間違っていなかったが、亮太は食い下がりません。  「でも先生一年生に言ってたじゃん、リフティングが10回出来たら皆と一緒に練習出来るなって、健太タリフティング10回出来るよ」  「え‼、健太本当か。だってチームに入るって話しをしたのは三日前じゃないか、前からやっていたのか」  照れ臭そうにしている健太に加藤先生もビックリしていたが、亮太はまるで自分のことのように加藤先生に話し出した。  「健太はサンライズFCに入るって決めてからすぐにボールを買ってもらって練習していたんだよ、祐樹くんだって昨日健太がリフティング13回出来たの見たよね」  祐樹もうなずいていて、加藤先生もこれには苦笑いをしていたが、「健太やってみろよ」と祐樹は健太にボールを渡した。  「おいおい祐樹、いくら何でも今やらなくったって…、え!」  そんなふうに言っている加藤先生の横で健太はリフティングを始めていて、皆もビックリしていたが、亮太は大きな声を出して回数を数え出していた。  「1 2 3 4 5 6 7…」でもその時健太はボールをコントロールしきれず落としてしまうと、「あ~あ、何だよ健太十回出来ないじゃないかよ」と上級生の子達からはこんな声が聞こえてきていた。  「よし、もういいぞ。健太が頑張って練習していたのは先生分かったから」  加藤先生にとってはやっと健太が皆と一緒になることが出来たばかりだったので、何か変なことで健太がまた孤立してしまわないようにと考えていたのが、健太は転がってしまったボールを拾いに行き、すぐにリフティングを始めた。これにはさすがに加藤先生も驚き、子供達も今までの健太のことを皆知ってるだけに驚いていた。  最初は亮太だけが回数を数えていたが、そのうちどこからか回数を数える声が聞こえ始めその声はどんどん増えていった。  「…6 7 8 9」その声はだんだん大きくなっていき、「10 11 12 13 14」目標の10回を越え、今までの最高回数も越えた。皆の興味は健太が何回出来るかに変わり、子供達の声も一段と大きくなり、立ち上がって応援する子もいて、「18 19 20 21 22」。そこで健太はボールを落としてしまったが、でも今度はさっきと違い皆が立ち上がり拍手をしていた。  「健太スゲー、俺の最高は18回だよ」  「俺四年生の時20回なんて出来なかったよ」皆口々に色々なことを言っているのを、健太よりも亮太のほうが得意気な顔をしていた。  「ほらね先生、健太出来るでしょ」  加藤先生はずっと寂しそうにしていた健太のことが今まで心配で仕方なかったが、それがこんな短期間でこれだけ頑張ってくれたことが嬉しくてたまらなかった。  「よし分かった、健太がそれだけ頑張っているのなら、サッカーを始めたばかりだからという特別扱いをするのは先生もやめよう。その代わり健太も皆に付いて行けないようなことがあっても絶対に諦めるんじゃないぞ、皆もそれでいいか」  「はい」  「よし、ランニングをしてからウォ-ミングアップをするぞ、それじゃ今日の先頭は健太だ、祐樹一緒に走って教えてやってくれ」 皆が走り出そうとした時、一人の子が大きな声で叫んでいた。  「あ!給食のおじさんだ」  子供達は皆キョロキョロしていて、練習を見に来ていたお父さん、お母さん達の中に紛れていた給食のおじさんのことを見つけると皆元気に手を振っていた。  「ちょっと皆待ってくれ」加藤先生は走り出そうとした子供達を止めると、照れくさそうにしている給食のおじさんの手を引き子供達の前に戻って来た。  「練習を始める前にもう一つ皆に報告があった。今日から皆が大好きな給食のおじさんがサンライズFCの特別コーチになってくれることになりました」  「え~、給食のおじさんってサッカー出来るんだ」子供達は皆大喜び。  「いや、ちょっと待ってくれ、給食のおじさんにはサッカーのプレーじゃなくて、皆が食べるご飯の栄養管理等をお母さん達と話し合ってもらおうと思ってます。でも、プレーをしなくても皆と同じサンライズFCの仲間だからな、皆でまずは挨拶をするぞ」  子供達は給食のおじさんの前に並んだ。  「給食のおじさん、よろしくお願いします」  「あ…、こちらこそ、宜しくお願いします」  給食のおじさんはちょっと苦笑いをしながら照れくさそうにしていたけど、子供達は給食のおじさんに手を振りながら元気に走り出し、そんな子供達を加藤先生と給食のおじさんはずっと見ていた。  「加藤先生良かったですね、見て下さいよあの元気な健太の姿を、何だかずっと前からこのチームにいたみたいですよね」  「給食のおじさんご無理は言いませんが、出来るだけ子供達を、健太のことを見守っていてもらえませんか。病気になんか負けないで一緒にあの子達が世界に羽ばたいて行くのを見ましょうよ」  「加藤先生、ありがとうございます」  こうしてサッカーを始めてから健太は、まるで別人のように元気な明るい子になり、健太と亮太はサッカーはもちろん、ウサギの世話も二人で楽しそうにやっていました。  学校が終わると毎日家の近くの公園で暗くなるまでサッカーの練習をしていて、時には真っ暗になっても帰って来なくて、お母さんが迎えに来るなんてこともあるようになった健太は、いつの間にかクラスの人気者になっていて、皆が夢中になる〝加藤先生の謎解き問題〟もどんどん難しくなっていくのを、健太を中心に皆でいつも楽しそうに考えていた。  そんな別人のように元気になった健太だったが、一つだけ変わらないことがあった。それは毎日必ず給食室に来ること。  「おはようございます」  「さようなら」  ただそれだけを給食のおじさんに言いに来るのでした。でも給食のおじさんにとっては、それだけで十分でした。
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