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悲しみの中で
季節は過ぎ木枯らしが吹き始めると、子供達は間もなく訪れるクリスマスに心をウキウキさせていたが、健太と亮太は相変わらずサッカーばかりやっていて、健太の上達は加藤先生も驚くばかりで、この短期間で、同級生の中では
亮太に継ぐ選手にまで成長していた。加藤先生は健太に別のポジションを進めたこともあったが、健太はあくまでもゴールキーパーにこだわっていた。
そんなある日のこと、学校が終わって皆が帰ろうとしている時、亮太が帰ろうとする正也を呼び止めた。
「正也、お前今日ピョンタの当番だろ、ちゃんとやれよな」
ずっと学校の皆でピョンタの世話をしていたのが、あまりにも健太と亮太が可愛がっていたので、いつのまにか四年二組がピョンタの飼育係りのようになっていた。
「今日は俺じゃないよ」
「何言ってんだよ、この前忘れたから今日やりなさいって先生に言われただろ」
最初は正也も言い返していが、亮太にそう言われると黙ってしまい、そんな様子を見ていた加藤先生が二人の所へやって来た。
「おいおい亮太そんなに怒るな、正也だって忘れていただけなんだから」
「でも先生、正也はいつも忘れるんだよ」
正也は目に涙を浮かべて泣いた。
「そうだな、正也はこの前も当番を忘れていたな。正也皆で決めた当番なんだからちゃんとやらなくっちゃだめだぞ、亮太もその位にしておきなさい」
正也は泣きながら黙ってうなずいていました。
「先生、ピョンタって小屋から出したらいけないの」
横にいた健太が突然そんなことを言い出したので先生も少し驚いていた。
「出したらいけないってことはないけど…、どうしてだ健太」
「何だかいつも小屋の中にいるから可哀想で、先生ピョンタを外にだしてあげてもいい」
加藤先生は少し考えていましたが、健太を見ながらニコっと笑い、「よし、それじゃピョンタをこれから少し外に出してあげよう」
「やったー」皆大喜びで、健太たちはウサギ小屋に走り出してしまった。
「おいおいちょっと待て、でも一つだけ約束だぞ。ピョンタを出していいのは先生が一緒の時だけだからな。おいちょっと待て、まったくしょうがないやつらだな」加藤先生も慌てて皆の後を追った。
「おい少し静かにしろ」そんな加藤先生の言うことなど聞きもしない子供達はワイワイ騒ぎながらウサギ小屋に向かっていたが、健太は突然皆の中から抜け出すと給食室へと向かった。
「給食のおじさん、これから皆でピョンタを外に出してあげるんだ。給食のおじさんも見においでよ」給食室の大きな扉を開けて健太は大きな声で叫ぶと、中に居た人は突然の大きな声に最初はビックリしていましたが、それが健太と分かると皆ニコニコしていて、奥から出て来た給食のおじさんも笑顔で、「そうか、健太よかったな。おじさんは後片付けをしているから後で見に行くよ」
「うん、早く来てね」
健太はそう言うと給食室の扉を閉めて皆の所に走って行った。
健太がウサギ小屋に着くと皆は小屋を囲んでいて、加藤先生は小屋の扉を開けると優しく静かにピョンタを抱き上げていた。
いつも見ているピョンタでも、こうして小屋の外に出してみるとその可愛さはいつも以上で、加藤先生はピョンタを校庭まで抱いていくとゆっくりと降ろした。最初ピョンタは鼻をピクピクさせているだけで動かなかったが、少し経つと元気に動き出し、子供達はピョンタを追いかけて走り回ったり、抱っこしたりと本当に楽しそうで、加藤先生は持っていたスマートフォンでその様子を写真に収めていた。
「先生写真撮ってよ」子供達は交代でピョンタと写真を撮ってもらっていると、そこに給食のおじさんも来て皆と一緒に写真を撮ったりしてとても楽しい時間を過ごしていて、健太と亮太もピョンタを抱っこしながら給食のおじさんと三人で写真を撮ってもらっていた。
「先生さようなら」ピョンタを小屋に戻すと子供達は帰って行った。
「給食のおじさんありがとうございました」
「いえ、私は何もしていませんよ。こちらこそいい思い出になりました」
「思い出…、そんな変な言い方しないで下さいよ、何だか居なくなっちゃうみたいじゃないですか。え‼、給食のおじさん、まさか…」
加藤先生の問い掛けに給食のおじさんは無言のままだった。
二人の間にはしばらく沈黙があり、加藤先生には給食のおじさんが何を考えているのかが分かっていただけに、それを聞きたくないという思いが二人の会話を妨げていた。
「加藤先生、前にもお話しした目のことなんですがやはりもうどうにもならないみたいでね、九州にある女房の知り合いの世話になろうと思います。このまま見えなくなったら今の仕事も出来ませんからね」
「九州にはいつ」
「体と相談しながらになりますが、正月は向こうで迎えようと思っています」
「そうですか、残念ですがあの子達と一緒にサッカーが出来るのもあと少しですね。皆寂しがるだろうな」
「先生それは言わないで下さいよ、寂しいのは私だって一緒です。でも最近思うんです、目が見えなくなったって耳は聞こえる。きっと私のこれからの人生を〝山崎健太〟という音が私のことを支えてくれるって。前に先生言ってましたよね、どうして健太のことがそんなに気になるんですかって。私はきっと一人ぼっちの健太が可哀想だったんじゃなくて、目が見えなくなってしまう自分が怖くて、これからの人生の希望として健太に助けを求めていたんじゃないかってね。きっとあの子、山崎健太という音はこれからの私の希望になってくれますよ」
「給食のおじさん、せめてサンライズFCで、おわかれ会をやらせてくださいよ」
「先生お気持ちだけありがたく頂いておきます、でもそういうのは勘弁してください」
「そうですか、残念ですが仕方ないですね、でも寂しいな」
それから数日後、給食のおじさんは朝日小学校を去り、加藤先生は健太達に給食のおじさんは体調があまり良くなくて学校を辞めたことを話すと、その話を聞いている時の健太はうつむいたままだった。
給食のおじさんが突然居なくなってしまい、給食室にも来なくなってしまった健太に、さらに悲しい出来事が起こってしまった。
その日健太と亮太が休み時間に教室でふざけていると美咲ちゃんが慌てて二人の所にやって来きて、「健太くん大変、ピョンタの様子が変だよ、今先生達がピョンタの周りに集まっているよ」
健太達は急いでうさぎ小屋に行くと、小屋の周りには美咲サキちゃんの言ったとおり加藤先生や他の先生達が沢山集まっていて、ピョンタのことを心配そうに見ていた。
「加藤先生ピョンタどうしたの」健太が心配そうにウサギ小屋を覗くと、小屋の奥でピョンタはじっとしていて動かなくそんなピョンタを加藤先生も心配そうに見ていた。
「どうしたんだろうな、この前はあんなに元気に校庭を走り回っていたのに。昨日だってエサもちゃんと食べていたし、先生が帰りに見た時だって変わった様子は全然無かったのに」
授業の始まるチャイムが鳴ると、先生の一人がピョンタを病院に連れて行きましたが、健太達はピョンタのことが心配で仕方なかった。
健太が二時間目の勉強をしている時に、さっきピョンタを病院に連れて行ってくれた先生が戻って来たのを健太は教室の窓から見ていて、休み時間になって皆でピョンタの所に行ってみたが、ピョンタはやっぱりじっとしていて動かなかった。さっき健太が入れておいてあげたエサも食べてなく、いつもは休み時間になるとふざけて騒いでいる亮太も、ピョンタのことが気になっているのか今日は黙って何も話していなかった。
休み時間になると健太と亮太はピョンタのことを見に行たが、給食の時間が終わった休み時間、二人がウサギ小屋に行くとそこにはピョンタの姿は無く、さっきまでピョンタがいた場所にピョンタと同じ色の白い花が置いてあり、その花を見た時、健太も亮太も何があったのかはもう分かっていた。
学校が終わると四年二組の子供達は皆でウサギ小屋の掃除をし、この前エサ当番を忘れてしまった正也は泣いて、健太も亮太も泣いていた。
加藤先生はそんな子供達の姿を見て、今日の出来事が幼い子供達の心に深い悲しみが刻みこまれてしまったことを肌で感じ取っていた。
給食のおじさんが居なくなってしまい、ピョンタまでも居なくなってしまってから健太すっかり元気を無くしてしまい、亮太も可愛がっていたピョンタが居なくなって寂しかったけど、健太を元気付けようと一生懸命だった。
学校では明るく振る舞ってふざけたり、家に帰ると健太を誘って公園でサッカーをしたり、家に呼んでゲームをしたりしていたが、なかなか健太元気を取り戻すことが出来なかった。
サンライズFCの練習中でも健太はミスばかりして皆に付いていくことさえ出来ず、そしてとうとう健太は練習を外れベンチに座り込んでしまうと、加藤先生は健太の横に座り、ずっとうつ向いたままの健太の頭をなでていた。
「健太、この前給食のおじさんは体調が良くないから学校を辞めたって話しをしただろ、給食のおじさんはとても重い目の病気だったんだよ。おじさんも一生懸命治そうと頑張っていたけど治らなくて、給食のおじさんは目が見えなくなってしまったんだよ」
健太は驚いた顔をして加藤先生のことを見ていた。
「健太はサッカーを始めてどんどん上達していっただろ。健太と亮太は将来必ず日本代表の選手になれるからって、給食のおじさんは健太のその時の姿を見るのが楽しみだってずっと言っていたけど、目が見えなくなって本当に残念がっていたんだよ。でもな、いくら目が見えなくても耳は聞こえるから、給食のおじさんは、健太が大きくなって立派なサッカー選手になって活躍しているのを、テレビやラジオで“聞く ”のが凄く楽しみだって言っていたぞ。『これからはそれを励みに生きていきますって…』。健太、給食のおじさんはこの学校に居なくたって、ちゃんとお前のことを見ていて…じゃなくて、聞いていてくれるぞ」
先生の話しを聞いている健太の目からは大粒涙がこぼれ落ちていた。
「亮太達が待ってるぞ、ほら行ってこい」
健太が顔を上げると、グランドでは亮太はミニゲームをしていたが、時々健太を見ている視線が早く戻って来い、と言っているのが分かった健太は小さくうなずくと、涙を拭いて亮太達の所へ走り出した。
加藤先生はその姿を見つめながら、ポケットから電話を取り出した。
「もしもし加藤です。健太、大丈夫ですよ」
その電話からは、あの優しい声が聞こえてきていた。
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