自己肯定感の低い僕は、恋の唄も歌えない。

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 それは、ほんの気の迷いだったのだ。  そもそも、僕はアイドルという存在が苦手だ。魅力的だと自覚した人間の集団など、恐怖でしかない。要するに、彼らが顧客とする対象に僕は成りえない。だから、彼らの歌舞音曲に興味を持つことなどないと思っていた。  けれど、TVから垂れ流されるそれを防ぐことは難しい。特に「動画再生回数1億回越え」ともなれば、勝手に耳に入ってくる。これは一種の洗脳なのだと思うが、ある日僕はその曲を口ずさんでいたのだ。  『恋するフォーチュンクッキー』を。  この曲は2013年発売だそうで、その頃僕は小学生だ。周りも歌っていたし、踊っていた。けれど、僕が歌うことは永久にないと思っていた。それが、5年以上も経った今になって僕の口から漏れてしまった。その事実に、まずは軽いショックを受けた。  有名な曲だ。歌詞も何となく覚えていた。メロディーも耳に馴染んでいたので、何気なく歌ってみた。けれど、Aメロを歌ったあたりで気がついた。  なんだ、この歌。ひどすぎる。  周知の事実だと思うが、この歌詞はある女子が、自分の恋が上手くいかない様を述べたものだ。それでも前向きにいこうというのが、要旨になる。この女子を、仮にA子としよう。  まずは、A子の似非ネガティヴがひどすぎる。  こいつは、間違いなく自分に本当は自信があるタイプだ。そうでなければ、自分を花に喩えようなど思うはずがない。何だ、こいつ。構ってちゃんか。  あまりにも腹が立ったので、残りの歌詞も調べてしまった。そうしたら、もっと腹立たしいことに、僕が一番嫌いな流れが待っていた。  「容姿に恵まれなかった者に対する、根拠のない無責任な励まし」だ。  認めよう。僕は不細工だ。何処に出しても恥ずかしくない程度には、不細工だ。  では、この歌詞を鵜呑みにした僕がいたとしよう。初詣に行った。神社で御神籤を引いたら、「恋愛運:かなう」となったから、心ひそかに好意をもっていた女子に交際を申し込んだ。  それで、じゃあ付き合いましょうとなるか? なるわけがない。  女の子にとったらホラーでしかない。アイドルの唄を真に受けた不細工が、御神籤に浮かれて告ってきた。怖い。ただただ、怖い。  だが、これはそういう唄だ。そんな唄を、僕は無意識に口にしてしまった。  もう二度と、口にはしまい。僕は心にかたく誓った。
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