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しかし、その有意義なひとときはいとも容易く終わりを迎える。がしゃん、とガラスや陶器のようなものの割れる音が店内に響いたからだ。思わず顔をあげ、音のする方向へ視線をやると、カウンターの席で男の客がオーナーの胸ぐらを掴む光景が飛び込んできた。床には飲み残しのコーヒーとパズルピースのように散らばったコーヒーカップの残骸。そしてオーナーの後ろには肩を震わせ、背中にしがみついている女性もいる。
「すいません。お引き取りください」
胸ぐらを掴まれながらも、オーナーは臆することなく男に進言する。
「うるせえな。店から出るかどうかは客の勝手だろう。この店は客に指図するのか」
「私はお客様にお願いをしているのではありません。あなたに命令しているのです。店の器物を損壊し、店員に脅しともとれる発言をするあなたをお客様とは認識できませんが」
「こっちはわざわざ金を払ってきてやっているんだぞ」
「払ってきてやっている? あなたはどこまで勘違いをされているんですか。そもそもの話ですが、私はあなたに一度たりともこの店に来てくれ、と頼んだ覚えはありませんが、私の記憶違いでしょうか?」
「そういうことじゃねえよ」
舌打ち混じりに男は視線を泳がせる。
「それともうひとつ。あなたはまだお金をお支払いなっていませんよね。わざわざ払っていただくことは不要ですので――さっさとこの店から出ていけ!」
オーナーがここまできつい口調で相手に対応する姿を僕は初めて見た。男に告げられたはずの言葉なのに思わず僕もどきっとしてしまうほどに迫力に満ちていた。
この一言で、男は観念してすごすごと帰るだろう。店内にいる誰もがそう感じた矢先、うおおおお、という雄叫びとともに、グラスに入った水をオーナーへ勢いよく浴びせた。飛び出した水は、迷うことなくオーナーの顔へ飛び込み、弾けた。
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