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【一章】彼氏と彼女 In1993 ②
大学の近くにひっそりと佇む喫茶店『ウッドベル』は、僕だけが知る楽園のひとつだった。もちろん、あくまでも比喩的な表現というやつで、客はまばらだが常連と呼べる人たちで支えられているような隠れ家的なこの店は、僕が専らの趣味と公言している読書にはうってつけの空間だった。
混雑しすぎない客の入りからスピーカーから流れるオーナー特選のジャズの名盤。そこに混じりあうコーヒーの薫りと木製のテーブルから微かに漏れ出る木々の匂い。ひとつ読書の世界へ浸かればそこは、まさに楽園、という言葉が相応しいと言えるだろう。
客層は定年を迎え、自由奔放に残りの生を楽しむことに勤しむ老人たちばかりで、僕くらいの年齢の若者は少なかった――いや、正確に言えば、僕を含めて二人だけだ。
それに気付いたのは、二年の秋のことだった。
喫茶店に入った僕は、いつもの決まった席へとまっすぐ向かう。窓際の奥に設置された二人掛けの席は、窓に面して横に並んで座るタイプのものだったが、僕は右側の席に鞄を置いて、テーブルの右側に本を二、三冊上へ積む。そして運ばれてきたコーヒーを左側に置いて、僕のブレイクタイムは幕を開けるのだ。大学に入学して間もない頃に見つけたこの店へ月・水・金と週三回の来訪を欠かさず行ったことで、何も言わずとも、席をとっておいてくれるようになり、今では店に入ると同時にオーナーが僕が必ず頼むコーヒーを準備してくれるようにまでなった。
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