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-序章-
花曇りとはこのような時を言うのだろうか。
真珠の肌のように光をはらんだ薄雲と、同じように薄紅を刷いたような桜の花びらがまるで溶け合うかのように交わるさまをぼんやり眺めながらそう思った。
朝と昼のはざまの時間。
川沿いの遊歩道には満開の桜並木が続いている。
その中のベンチの一つに腰を下ろしたきり、拓真は動けないでいた。
普段なら、こんな風に桜並木の下に座って空を見上げることなどなかっただろう。
そっと目を閉じて桜の枝を飛び交う小鳥たちの鳴き声とかすかな川のせせらぎを聞きつつ、深く息を吸う。ほのかに花の匂いがするような気がした。
そんな時、唇にそっと何かが触れた。
目を開けると、そこには隣に座っていたはずの男の顔があった。
「…何をした」
「キス」
ふわりと笑って、また頬を寄せてくる。
少したれ目がちの瞼は綺麗な二重を描き、それを縁取る茶色がかったまつ毛の長さにみとれているうちに唇を合わせられてしまった。
ゆっくりと互いの唇を温めるかのようなキス。
雲と桜の境界線が解らないように、自分たちの存在も曖昧になる。
全ての音も風も何もかも曖昧になってしまった。
「なんで…」
吐息の混じりあうほどの近さで尋ねた。
「したかったから」
ふわふわと男はほほ笑む。
「怒らないの?」
怒るべきなのかもしれない。
しかし、何も考えることができなかった。
「義兄さん?」
風が、さあっと吹いて、花びらが雪のように舞いあがった。
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