-序章-ルカ

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-序章-ルカ

 すべての景色が白く霞んでいる。  花曇り、と言うらしい。  ぼんやりと見える太陽はまだ昇りきっておらず、もやのかかった空間で光が乱反射している。  どことなく花の甘い香りと、土の香ばしい匂い、季節の狭間のひんやりとした空気、そして春を謳う鳥たちの声が入り交じった。  桜並木が、川沿いに続いている。  冬の間はただの木立のある歩道だったのに、突然そこは魔法がかけられたかのように色で埋め尽くされていった。  川面に向かって腕を差し出すように伸びた枝の先まで薄紅色の花びらで埋め尽くされ、時折風になぶられたそれがふわりと宙に舞う。  音もなく舞う花びらは、冬の初めに見る淡雪に似ていた。  ・・・しかし、触れてもけっして消えない。  消えずに、そこにある。  手の平へ舞い降りた一枚の花弁に、かすかな重みと、現実を感じた。  肩が触れそうで触れない距離を保ったまま、ゆっくりと足を進める。  傍らでぼんやりと桜を眺めつつ、どこか機械的に歩く彼は、とても疲れた顔をしていた。  触れそうで、触れない距離。  触れたいけれど、触れられない。 「・・・ちょっと、休んで良いか」  本当に疲れているのだろう。  少し乾き気味の唇からかすかにため息をついて彼が言う。 「・・・ええ」  桜の木がまるで傘のように覆って日差しを緩めてくれているベンチに、静かに腰を下ろした。  背もたれに身体を預け、やや仰向けになって彼は桜の木を見上げる。 「・・・こんな風に桜を見るのは初めてだな」  彼はそう言うと、ふっと笑って目を閉じた。  花の残像を、川のせせらぎを、鳥たちの鳴き声を、彼は楽しんでいる。  深く息を吸い込んだのか、ゆっくりと胸板が上がっていくのが見えた。  彼が、今、ここにいる。  確かな存在。  触れたい。    桜の花びらを、掴んだように。  触れたい。  気が付いたら、唇を寄せていた。  ここが人の行き交う遊歩道であることも、もはや昼に近い時間であることも、彼も自分も大人の、男性であることも忘れた。  ただ。  ただ、彼の唇に触れたかった。  彼が、彼であることを確かめるために。  だから、その唇を、自らの唇と合わせた。  風がなでるより軽く、桜の花びらに触るより確かに、ゆっくと触れて、息がかかるくらいには近くにとどまった。  彼が、目を開いた。
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