不都合な女

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 令子の感情は、収まらなかった。この酷い不快感と憤りは静めようがなかった。彼女は、気持ちを紛らすためにバルコ二ーに出た。  深夜にも関わらず近くの浜辺で若者たちが奇声を上げ莫迦騒ぎしていた。ふと、彼女は、あの常軌を逸した騒ぎの中に行ってみたくなった。『ああ、腹の立つ夜だわ。彼らと一緒になって騒げば少しは気持ちも紛れる。こんな夜は酔いに任せて騒ぐしかない』 彼女は、足音も立てることなく素速く一階に降りて行った。  父の寝室の側を通ったときだった。部屋の中から父親の呻き声がした。途切れてはまた始り、繰り返し繰り返し、それに煩悶(はんもん)を添えるかのように歯軋(はぎし)りのようなカタカタカタと小刻な打音が重奏していた。それが否応なく彼女を動揺の渦へと誘った。父親のことが心配になり、彼女は、気付かれぬよう部屋のドアノブをそっとつかんだ。音がしないようにドアノブを回し、わずかに引いた。ドアはロックされてはいなかった。彼女はその僅かな隙間から片目で中を覗いた。薄暗い部屋の中で、上半身裸の父親が苦しそうにソファに伏せていた。持ち前の優雅さも邪魔そうに加納瑠梨は下着一枚なって父親に寄り添い、露わになった父親の肩の包丁傷をじっと見つめていた。すると、加納瑠梨は、その包丁傷に顔を寄せ、舌で舐めはじめた。カタカタという音は加納瑠梨が発する上あごと下あごの歯が断続的に当たる音だった。くっくっくと加納瑠梨の押しつぶした笑い声が聞こえて来たとき、令子は背筋が凍りつき、その場を後にした。家の外に出た彼女は、逃げるように若者たちが騒ぐ浜辺へと急いだ。その途中、彼女は「吸血鬼」を連想した。『嘘だわ。あれは幻に決まっている。あんなことはあってはならないのよ…』  彼女は繰り返し自分に言い聞かせた。  若者たちは彼女が近寄って来るのを見て、まるで歓迎するかのように口笛を鳴らし、また奇声を発した。 「おい、姉ちゃんよ、何しに来たんや。わいらはこの辺を縄張りにしてる暴走族だと知って来たんか。一緒にバイクにでも乗るか、愉しいことでもしまへんか、わはっはっはっは……」 「おい、そんな嘘をつくな。怖がっとるじゃないか。おっ、かわいいがな、わいと踊ろうか。わいらは大阪のただの学生や。旅の掻き捨てなんや。羽目を外しているだけなんや。ワレら唄えや!サザンだぜ、ステレオ太陽族だ。ええな!」 「嫌よ!・・・・」 「姉ちゃん、何しに来たんや。遊びに来たのやろが、ええから、踊ろう」 そのとき、彼女に妙案が浮かんだ。 「ねえ、旅の掻き捨てなんでしょう。だったら、助けてよ?変な女がわたしの家に居座っているのよ。わたしを家から追い出したのよ。わたしの父を誘惑して母と離婚させたのよ。父を奪おうとしているのよ。わたしがあの女を家の外に呼び出すから、二度と私の家に近寄れないようにしてくれない?」 「悪い女やな。人助けか、 どんな女や?べっぴんか、セクシーか?」 「そうよ。熟女よ。その女を報酬ということにして、どう?・・・・」 「おもしろそうやな。家はどこなんや。ここから歩いて行けるんか?」 「すぐそこよ。でも暴力的ではなく、玩ぶ程度にしてよ」 「そうやな、だったら、わいの女になってしまうくらい可愛がってやろうか」 「そうね。それがいいわね」 令子は、してやったりと、ほくそ笑んだ。 「わいは磯村徹っちゅう者や。もちろん偽名だがな。よろしゅう。おい、平沼、おまえもついて来いや。さあ、行こか。おーい、みんな、今日のところはこれで終了、終了や、解・・・散・・・・」   彼女は、こんなにも簡単に騙せた酔っぱらいの学生を利用して、どのようにして加納瑠梨を家の外に呼び出すかあれこれ思案した。
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