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日差しにまばゆい肌色の浜辺、緩やかな波音がささやいている。乾いた風が令子の薄紫色のパラソルを揺らし、右方向には明石海峡大橋が端正な白銀の輝きを海の彼方へと放っている。その橋脚のたもと近くを豪華そうな白いヨットが過って行く。真夏は既に息づいていた。だが何事もない。いつものこの時期の風景だった。『この浜辺で倒れていた男は磯村徹かもしれない。なんの音沙汰もなかったけど、わたしのことが気になってこの浜辺に来たのね。きっと、そうだわ…』
令子は浜辺の砂に人の倒れた痕跡を探した。だが、さまざまな波の跡が迷路のようになって彼女の視線を狂わせた。それが、あの悍ましい出来事を鮮明に思い出させていた。
あれは去年の夏だった。落胆に打ちひしがれ、無為に時間つぶしをしていた夏だった。東京の大学を卒業し、希望に溢れて大企業に入社したものの仕事の内容は彼女の期待に反していた。単純労働が日課となり、肉体の疲労だけが彼女の失望を癒やしていた。そして、父母が突然離婚し、その知らせを聞き、さまざまな失望の芥が心に漂うままに東京から帰省した夏だった。
猛暑が威り狂っていたあの夏の日、この海辺の道沿いは暑さに打ちひしがれた人々の群れでごった返していた。浜辺は水浴客たちの歓喜で賑わい、海の水面もまた弾けるような水飛沫が飛び交っていた。しかし、この海の水面に令子だけは、死人のように浮かび、ただ波の動きに身をまかせていた。彼女の視線の向こうには、波打ち際で、残酷なまでの炎天下を楽しむかのように、父親が加納瑠梨という女と人目を憚ることもなく、これ見よがしにじゃれ合いっていた。それは離婚した母親が去って一週間にも満たない夏の日だった。
確かに直接の離婚理由は父親の浮気に違いなかった。浮気の相手は加納瑠梨、あの女なのだ。あの女は妻子ある歳の離れた男と許されない関係を結んだのだ。令子は、そのことを母親から繰り返し聞いていた。怒りに震えた母は既に丹波の実家に帰ってしまっていた。それから、二度と神戸に戻ってくることはなかった。
その夏の日は、令子にとって葛藤の渦巻く乾いた夏の日だった。
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