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森に立ち込めた霧が、静止した渓流と相まって神妙な雰囲気を醸し出していた。
閑散とした空間。流れを止めたその水面に足を沈める少女――。
彼女の曇った視界に人影が映る。その見覚えある後ろ姿は少女の父だった。
「来るな……」
どこか重々しい男の口調に、構わず少女が歩み寄る。
「お父さん、どこへ行ってたの?」
バシャバシャと水を跳ねながら少女が歩調を速めると、男は振り向きざま腰に差した剣を抜き、その刃を少女に向けた。
「アマネ……」
少女が立ち止まって見ると、男に生気は感じられず哀愁を帯びた瞳が妙に物悲しく何かを語りかけてくる。
「母さんを頼んだぞ……」
「お父……さん?」
男が背を向けて歩き出す。
その意味深長な様子に、言い知れぬ胸騒ぎを覚える少女。
「待って、どこへ行くの?」
呼びかけには振り返らず淡々と歩いていく男。少女が走って後を追うも、その距離は一向に縮まらない……。
「お父さん!」
霧で姿がぼやけていく男を少女は追い続けた。
お父さん……。
やがて意識は薄れ、辺りが闇に包まれていく――。
「お父さん……」
ベッドで眠るアマネが小さく呟くと、徐々に意識を取り戻し始めた。
「うぅん……」
窓際で小さな木彫りの動物が、差し込んでくる朝日を受けている。
アマネは目を細め大きく背伸びをすると、その中背の引き締まった体を起こし辺りをボ―ッと眺めてみた。
質素な木製家具が並ぶ空間。そこは、いつもの見慣れた部屋だった。
……夢?
意識が神妙な夢の余韻から現実へと引き戻されていく中、アマネはベッドから立ち上がり、下着姿のまま鏡台の前まで歩いた。
……。
鏡の向こうで短めの黒髪に寝癖をつけたボーイッシュな少女が、寝ぼけ眼でこちらを見ている。
来るな、か……。でも私行くよ、お父さん。
鏡台の横にある衣装棚から、外出用の軽装着を取り出すアマネ。
二年間待ったんだ……。
部屋に掛かったフクロウの振り子時計は、五時四十分あたりを指している。
アマネはそれを確認すると着替えを済ませ、壁に立てかけてあるブロードソードを手に取った。
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