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『……』
『……』
『……いつからだ?』
『……春頃』
「何かの因縁かしらね……ほら、あなたの名前。あの日から来てるのよ」
「えっ」と、不思議そうにアマネ。
ヨシノの内にいる新たな生命の鼓動は、ショウマへとその存在を小さくも躍動的に伝えていた。
『事情は知らないけど、あなただけの犠牲なんてあると思わないで。一人で行くなんて許さないから』
『……』
ショウマの視線の先、街頭で仄かに照らされた傘が地面で雨に打たれ続けている……。
時が止まったかのように物悲しく雨音だけが響く中、ショウマがゆっくりと口を開いた。
『初めて忍び遭った日も雨だったな……落ち合った場所で、お前が用意していたその傘の中、寄り添って歩いたのが昨日の事のようだ……』
ヨシノから離れ、傘を拾うとショウマは続けた。
『あのまま……何も知らずに幸福なままだったら、神はそれを無知と呼ぶのだろう……思えばあの頃の私は、お前や友にと周りに恵まれすぎていた……』
『何が言いたいの……』
『……』
腕に抱えた子へ視線を落とすショウマ。
『世界中で犠牲が後を絶たないでいる……修羅に落ちる覚悟で挑んだが、堕ちた先は、その私をも飲み込まんとする絶望だった……見るがいい、今しがた起こった現実を……人の尊厳は……蹂躙され続けている……』
ショウマにより、その子へと巻かれた布地が包帯のように解かれていく――。
アマネに過去ここまでの経緯を掻い摘んで話すと、ヨシノは空になったティーカップを手元から離した。
「その子は……?」と、不安げにアマネ。
「眠っていたわ」
「……怪我、してたんじゃないの?」
俯きながら指を組み、ヨシノは一呼吸置いた。
「アマネ、人が全てを失う瞬間って想像つく?」
「えっ……」
ヨシノの思いがけない発言で、アマネの脳裏に”絶望”という言葉がよぎった。
「あの人が向き合っていたのは、そんな現実よ……」
まだ理解が及ばずも、その静かな気迫を前に閉口するアマネ。
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