305. アシュタがパパを待ってるもん

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305. アシュタがパパを待ってるもん

「……ケガ?」 「あのアスタロトが、ですか?」  何をおかしなことを言い出したのやら。そんなニュアンスになってしまう上層部に、狼尻尾の青年が焦った口調で「本当です」と念押しする。第三師団の腕章をつけた彼の、垂れ下がって動かない右腕に治癒魔法をかけて、ルシファーが首をかしげた。 「アスタロトや第一師団の連中も治癒魔法が使えただろ。なんでお前がケガしたまま来るんだ?」  治癒魔法陣が消えると、青年の腕は元通りになっていた。感謝を述べると、すぐに彼は治癒が使える者の派遣を依頼する。状況がつかめないが、何やら大事件らしい。 「私が……」 「いや、オレが出向く」  ベールを遮ったルシファーが後ろを振り返った。雨が降り続く丘の上は、雲の合間から朝日が差し込んで虹がかかっている。美しい景色に目を細めたルシファーが、手早く随行するメンバーを選定した。 「イポス、ベルゼビュート。ついてこい」 「我が君!?」  置いて行かれると知って、焦ったヤンが声をあげる。思わず立ち上がったヤンの鼻先を撫でて、ルシファーが淡々と言い聞かせた。 「命令だ。今回は治癒魔法が使える奴を優先的に連れていく」  魔獣であるフェンリルに治癒魔法は使えない。それでも心配そうに巨体でうろうろするヤンだが、リリスに鼻先を撫でられて諦めた。しょんぼりと耳や尻尾を伏せて、くるりと丸くなる。拗ねたフェンリルの背をぽんと叩いて、ルシファーが魔法陣を描いた。  すぐに飛び乗ったイポスとベルゼビュートを連れて、魔王は南の都へ飛んだ。 「……っ」  転移魔法陣の縁を炎が舐める。魔法陣の縁に沿って、遮断用の結界を張った。火の粉が散り、赤黒い炎が舞う光景は地獄そのものだ。建物も人も、動植物も飲み込んでいく炎の激しさに、ルシファー達は言葉を失った。 「アスタロトは……あっちね」  魔力の場所を探ったベルゼビュートが左側を示す。確かにアスタロトらしき魔力を感じるが、何かが違っていた。眉をひそめたベルゼビュートの表情に、彼女も同様の違和感を覚えていると気づく。 「あたくしが先行しますわ」  ベルゼビュートは、自らの身に結界を纏うと炎の中に踏み出した。精霊女王であるベルゼビュートを傷つける精霊はいない。自然の精霊が起こした炎ならば、彼女の身を焼くことはないが……この炎は違った。巻き毛の先をちりりと焦がした火は、精霊を介していなかった。 「呪われた火のくせに、あたくしを害する気なの?」  舌打ちしたベルゼビュートを守る形で、別の炎が燃え上がった。全身を青白い炎に包んだベルゼビュートは、数歩進んだ先で転移する。アスタロトの魔力を終点とした転移だろう。 「予想外の抵抗にあったか」  この赤黒い炎は、おそらくアスタロト自身が呼び出したものだ。彼の内側に封じられた(のろ)いに近い存在だった。かつて彼と戦った際に見たことがある。アスタロトが吸血鬼王でありながら変異種に分類されるのはその所為だ。  追うのは簡単だが、腕の中できょろきょろしているリリスの存在に躊躇する。彼女はアスタロトに懐いている。飛んだ先で、変貌した彼の姿に何を思うのか。ベールが居たのだから、イポスやヤンと一緒に残してくればよかったのに。自分でそう思うが、手を離した瞬間に攫われた恐怖が蘇る。  あんな恐怖を味わうのは二度と御免だった。一生手を繋いで、離れなくなればいいと思う反面、手を離して自由に振る舞うリリスの成長も見たい。我が侭が胸を締め付けるように広がった。 「リリス、アスタロトのところに行くか? 怖いかも知れない」 「うん。アシュタがパパを待ってるもん」  子供らしい発想だ。ケガをしたアスタロトがオレを待ってる、か。そうかもしれないな。悩んだ自分を笑い、ルシファーは表情を和らげた。 「よし、行こう」  イポスはずっと黙っていた。主と定めた姫の想い、一族の忠誠を捧げる魔王陛下の決断――尊重すべき彼と彼女に従うのみ。口をはさむ気はない。魔王ルシファーが新しく展開した魔法陣の上で、イポスは静かに剣を抜いて備えた。
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