02. 後片付けは最低限のマナーです 

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02. 後片付けは最低限のマナーです 

「人族など滅ぼしてしまえば良いのに」  溜め息混じりに、アスタロトは剣に魔力を流す。己の魔力で作り上げた虹色の剣は、主である魔王のお気に入りだ。そのため常に美しく保つ努力をしてきた。 「あの方は慈悲深い。さきほどの魔術師も殺していないでしょうね。ですが、私はそこまで優しくありません」  美しい顔に浮かんだ酷薄(こくはく)な笑みは、触れたら切れそうな三日月に似ている。刃のような鋭さを感じさせる表情で、剣を一振りした。森の茂みが大きく割れる。  木々を切り裂き、岩を砕く無粋な真似はしない。ここは魔王城の庭である魔の森の一部で、魔王陛下の日課である散歩のコースだった。無残な風景にしてしまったら、彼が悲しむだろう。  アスタロトの言動の中心は、常に魔王だった。  風の魔法で葉を揺らす茂みの間から、覚悟を決めた剣士が3人飛び出してくる。浅黒い肌は魔力が少ない人族の証拠だ。濃い茶色や黒の髪を揺らして駆け寄る男達は、四大公の一角を担う魔族へと切りかかった。 「死ねっ!」 「父の仇!」  叫んで振り上げる剣を纏めて2本受け止める。流すこともできるが、アスタロトはあえて受け止めた。怒りに顔を赤くした人族の男に嫣然(えんぜん)と微笑んで、優雅に彼らの剣を払う。左へ落とされた剣に引き摺られて体勢が崩れたところを、返す刃で切り裂いた。  赤い血がぱっと散る。城門の外に広がる草原の緑を、赤が花のように彩った。崩れ落ちる男が剣を身体に留めるために掴む。 「いまだっ!」 「気付いていないとでも? バカにされたものですね」  3人飛び出したうちの1人が後ろに回りこんだことくらい、魔力を探るまでもなく気付いていた。囮となった2人をそのままに、アスタロトは左手を後ろへ翳す。風の刃で腹から二つに切られた男が最後の足掻(あが)きに剣を振り下ろした。  キンッ、硬い金属音で右手の剣に弾き飛ばされる。 「はぁ……汚してしまいました」  剣の柄や右手に飛んだ赤い血に眉をひそめ、アスタロトは嫌そうに呟く。  魔族は大きく二つに分かれる。人族を容認する者と排除を望む者だ。言うまでもなくアスタロトは排除を望み、魔王は容認していた。  同情なのか、魔王は人族に襲われても追い返すだけで殺さない。人族の間で魔王城が『人食い城』と揶揄(やゆ)される原因の一端は、アスタロトを中心とした排除派の行動だった。  主の機嫌が悪くなるから、人族が近づかなければいいと殺してみたが……さらに襲撃者が増える結果となっている。裏目に出た作戦に、アスタロトを筆頭とする排除派が頭を抱えたのは数百年前だった。  あれからも人族は懲りずに襲いかかってくる。 「本当に愚かですね」  近づかなければこちらから攻撃はしない。大人しく己に与えられた領地で暮らせばいいものを、豊かな魔王領に手を伸ばそうとする。分不相応(ぶんふそうおう)――そんな単語がアスタロトの脳裏を過ぎった。 「片付けますか」  地を割って死体を飲み込ませようとしたアスタロトだが、ふと感じた気配に動きを止める。魔の森から姿を見せた狼に微笑んで一歩さがった。 「お久しぶりですね、始末はあなた方にお任せします」  アスタロトの丁寧な口調は素なので、相手が魔王でも魔物でも崩れない。アスタロトが譲る姿勢をみせたことに、頭を低くしたまま灰色の巨大な狼が近づいた。  灰色魔狼(フェンリル)は群れの長で、小山ほどもある。後ろに数匹仲間を連れているが、やはり熊くらいの大きさがあった。人が乗っても平気そうな大きな魔狼達は、目上に対する礼儀として出来るだけ身体を地に伏せて近づく。 「人族もこのくらい礼儀を(わきま)えていれば可愛いのですが」  自分の言葉に苦笑がこみあげて、アスタロトは城門を振り返る。すでに城門付近まで戻った魔王の後を追うべく、彼も歩き出した。後ろで、予定外の獲物に喜ぶ魔狼の咆哮が聞こえる。しかし振り返ることはなかった。
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