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壱 晩秋町へ出る
屋敷の外に出た晩秋の目に映ったものは、たった今晩秋が出てきた屋敷と同じような大きな屋敷が軒を連ねている光景だった。
道行く者は誰もが帯刀し、すれ違いざまにまるで汚いものでも見るかのように晩秋を見ては顔を顰めた。
「はて、齋朝が言ってたのとは随分と違うな・・・外の世界は色々な民がいて実に面白いものだと聞いていたが・・・・」
そう呟き晩秋は一人歩き始めた。
すれ違う者たちは皆、晩秋を遠巻きに見ては、ひそひそと声を潜めて囁きあう。その声は全て晩秋には聞こえていた。
「おい、あれを見ろよ」
「あれは・・・一体なんだ・・・。かの前田慶次殿の生まれ変わり気取りか?」
「武家の者なのか?しっかしどこのどいつか知らないが、とんだうつけ者だな」
晩秋にその声が届いているとも思わずに言いたい放題だった。だが、晩秋はそんな声はどこ吹く風。まるで気に留めない。
気の向くままに歩いていくと、辺りの風景ががらりと変わる。鬼羅家のある武家地から、町人地へと出ようとしていた。
「ん?向こうの方は随分と賑やかそうだな」
晩秋は薄い唇の端で小さく笑うと、足早に向かい町人地へと足を踏み入れた時だった。晩秋の前に一人の侍が立ちはだかる。
「おい、お前っ」
晩秋は歩くのを止めて、面倒くさそうに侍を見た。
薄くなった髪を必死に結ったような髷が晩秋にはなんともみっともなく見えて仕方がない。
「俺になにか用か?」
晩秋は大げさに首を傾げ、侍をじっと見た。
その人を喰ったような態度が無性に癇に障るらしく、侍は目を吊り上げた。
「貴様っ、今武家地からやってきたなっ!ここはなっ!お前のような卑しい者が入っていい場所ではないわっ!」
そう言って侍は帯刀した刀をひらりと抜いた。
「随分と無茶苦茶だな。こんなところで刀を抜くか」
晩秋は右手を顎にあて、その肘を左手でその肘をささえると小首を傾げる。騒ぎを聞きつけた江戸っ子たちがわいのわいのと次第に蟻のように集まり晩秋と侍を囲んであっという間に人だかりができた。
「俺を切るのか?」
「貴様のような無礼者は、切られて当然だ」
「無礼・・・ねぇ。しかしなぁ・・・俺はただ歩いていただけだ。それがどうして無礼になるのだ」
侍は口をへの字にし、顔を顰めた。
「大体なんだっ!その派手な着物はっ!襟元の赤っ!黒い着物に銀の流水門だと?貴様っ、奢侈禁止令を知らぬとは言わせぬぞっ!」
「奢侈禁止令?知らぬなぁ。しかし・・・お前も、随分と派手な着物をきているようだが?」
「某は武士である故、このような着物が許されておるのだっ!貴様のようなどこの馬の骨とも知れぬうつけ者がそのような着物を着るとは、笑止千万っ!某が成敗してくれるわっ!」
晩秋は集まった町人をぐるりと見渡した。
「なるほど・・・、それでどいつもこいつもぱっとしない色の着物を着てるってわけか・・・」
「あぁ、そうだ。貴様の分不相応が今頃わかっても遅いわっ!」
言うなり侍は晩秋に切りかかってきた。
晩秋は左の足をすっと出すと、一歩横にずれた。
侍が、捉えたっ!と思ったはずの晩秋の体はすでにそこにはなく、侍はそのまま前へとつんのめり不格好に転がった。
瞬間、集まった野次馬たちが一斉に笑い声をあげた。
「なぁんだい、ありゃ。威勢だけはいいがかすりもしねぇじゃねぇか」
「見てみろよ、袴があんなにめくれあがっているよ」
「ふんどしが丸見えでぇ」
「でぇじなところも丸見えでぇ」
「あの兄ちゃんはずっとあそこに立ってたてのによぉ、動かねぇ奴を相手にしても当たりもしねぇんじゃ、腰の刀が泣くってもんよ」
晩秋の素早く無駄のない動きを野次馬達は目で捉えることが出来ずにずっと同じ位置に立っていたように見えていたのだ。
野次馬たちは好き勝手言い、侍を指をさして笑った。
「おいお前・・・大事はないか?ぁあ~糞がもれてしまっておるぞ?」
そう言って晩秋が大げさに肩をすくめて見せると、やじ馬たちがまたどっと笑う。
侍は地に手をついたまま、益々顔を赤くして歯をキリキリとかみしめると、立ち上がり刀を振り回しながら晩秋に向かって形振り構わず切りかかってきた。
「糞など漏れておらぬわぁーーーーっ!この無礼者がっ!貴様っ、絶対に許さんっ!」
「そうか・・・お前からは旨そうな香りが一切しないから、てっきり糞でも漏らしているかと思ったが・・・・違ったのか・・・」
そう答えながら晩秋は顔色ひとつかえる事無く、侍が振り下ろすその全てをかわしたののだが、その振る舞いはまるで踊っているかのようであった。その光景に目を丸くしてくぎ付けになっていた野次馬たちも、やがて晩秋に向けてわいのわいのと歓声を上げ始めた。
と、そこへ一人の大名が家臣を連れて通りがかった。
わぁわぁと歓声の上がる人だかりを見て大名が首をかしげる。
「これは一体・・・なんの騒ぎか?」
すると家臣の中から若い侍が一歩前へ出てきた。随分と若いように見えるその侍はまだあどけなさを残すくりっとした大きな目を真っすぐに齋朝に向けた。
「某がすぐに確認して参ります!」
「あぁ、都羽丸頼む」
都羽丸と呼ばれた若い侍はやじ馬達の間をぬって様子を見に行ったかと思うと、すぐに青い顔をして戻ってきた。
「大変でございます!齋朝様っ!ばっ・・・・ばっ・・・・晩秋様が何やらどこぞの侍と揉めておられますっ!」
「なにぃ?晩秋だと?」
大名は兄の齋朝であったのだ。
齋朝は都羽丸の報告に目を見開き、すぐさま人の波をかき分け騒ぎの中心にいる晩秋を見つけた。
頭に血が上って形振り構わず晩秋に切りかかろうとする侍を、晩秋が踊るように交わしながらからかっているのである。
齋朝は小さくため息を漏らすとすぐさま侍の前へと進み出て、刀を持って振り上げたその手首を掴み声をかけた。
侍は齋朝を見ると目を見開き声にならない声を出しながら、すぐさま膝をつき頭を垂れた。
「これはこれは、鬼羅家の若様っ。みっともないところをお見せいたしました」
齋朝は目だけで晩秋を睨みつけるが、晩秋は両手を頭の後ろで組んで知らん顔をしている。
「一体これはなんの騒ぎか!」
「はっ、そこのうつけ者がこともあろうに華美な衣服を身に着け、武家地を往来しておりましたうえ、ご覧の通りのいで立ちにて某に無礼な物言いを!捨切御免に値するこの不届き者を成敗しようとしていたのでございます」
「それだけか?」
「はっ・・・・・・?それだけ・・・とは?」
侍はどこかぽかんとした顔で齋朝を見上げた。
「華美な衣装を着て、武家地を歩く他にあやつは何かしたかと聞いておるのだ」
「いえ、しかしながらそれだけで成敗されるには十分かとっ」
侍の言葉に齋朝は、大きなため息をついた。
「申し訳ないがそうであれば、あやつは成敗される必要はない」
「は?」
齋朝の言葉に侍はまるで意味が分からぬといった様子で顔を上げた。
「あれは私の弟だ。正真正銘、鬼羅家当主が弟、鬼羅晩秋だからだ」
侍は自分が何を言われているのか、まるで分らないと言った様子でしばらく呆けていた。
野次馬の江戸っ子たちも、驚きを隠せず静まり返った。
「晩秋、お前もこのような騒動を起こすとは何を考えて・・・・」
そう言って振り返った齋朝の背後には、すでに晩秋の姿はなかった。
「まったく・・・仕方のない奴だ・・・。これ以上の騒ぎを起こさねば良いが・・・」
「齋朝様、晩秋様をお探しになられたほうが・・・」
斎朝の背後で不安げに言う都羽丸に、齋朝は笑って首を振った。
「いや、構わない。晩秋とていつまでも子供ではあるまい。あやつには自身の目でものを見て、自身の心で感じ、自身の感情で動くことが必要なのだと・・・・私は思うのだよ」
「はぁ・・・・しかし・・・・」
「心配か?あやつがまた問題を起こすのではと・・・」
「あっ、いえ、決してそのような・・・・」
口ごもる都羽丸を見て、齋朝は楽し気に笑った。
「そうだ・・・・都羽丸よ、お前は確か・・・晩秋と同い年であったな?」
「はっ十六ですので、その通りです」
「そうか・・・ならば・・・都羽丸、お前に晩秋の世話を申し付ける。これより晩秋の側役として励むがよい」
「なんとっ!」
「屋敷では幼い頃から、なにかと晩秋と共に稽古などしてきたであろう?お前にとっても私の世話をするよりも、晩秋と共にいた方がよいだろう」
「いっいえっ、でもっ・・・・・」
都羽丸と呼ばれた家臣は、顔を青くさせ大きな目を更に丸くして齋朝を見上げた。
「晩秋を頼むぞ」
にこやかな笑みを浮かべてそう言う齋朝に都羽丸は頷くより他なかった。
「さぁ、皆も引き上げておくれ。我が弟が騒ぎを起こしてすまなかったな」
齋朝はそう言って野次馬達を帰らせると、晩秋の消えていった町人地を見てその顔に笑みを浮かべた。
「晩秋よ、存分に学ぶがよい」
そう呟くと、未だ魂が抜け出てしまいそうな放心状態の都羽丸を残し鬼羅家の屋敷へ向かって歩き出していた。
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