参 逢魔時

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 晩秋は足早に武家地を抜けると、町民地へと来ていた。都羽丸がせわしなくその後を追う。 「晩秋様ぁ、やっぱりあれはまずかったんじゃないでしょうか・・・」 「あれとは?」 「馬場殿ですよっ!馬場殿っ!それにあんな穴掘っちゃって・・・」 「いや、大丈夫だ?あのくらいでは死なぬ」 「いえ・・・死ぬとか死なないの問題以前にですね・・・・・・・・ぶっ!」  突然止まった晩秋の背中に、都羽丸は顔面からぶつかっていた。 「晩秋様っ、急に突然止まらないでください!って・・・・晩秋様?」  晩秋はじっと見つめるその先を都羽丸が辿ると・・・・そこには人だかりができている。 ___うぅっ! またしても面倒ごとに興味をそそられているっ! 「ぁあ~、晩秋様っあっちに甘味屋がありますよ!ご存知ですか?江戸で今流行ってる甘味なんですけどね・・・・・って・・・・・、晩秋様ーーーーーっ!」  たった今までそこにいたはずの晩秋の姿は忽然と消えており、辺りをきょろきょろと見渡した都羽丸の目に人だかりの間をぬって歩く晩秋が見える。 「晩秋様ーーーーーっ!」  人だかりを抜けた晩秋の目に映ったもの。  ひとりの大柄な男が小さな女童衆(めのわらわ)を角材で容赦なく殴りつけていたのだ。 「てめぇっ!このやろーっ、てめぇのような使えねぇガキはこうしてくれるわっ!」 「も・・・・申し訳・・・・・ありません・・・・許してくださいっ」  童衆は地面で身を小さくし、両手で頭を抱えて震える声で必死に許しを乞うていた。その体は既に傷だらけでところどころ血が滲んでいる。  晩秋は集まっていた野次馬のひとりに声をかける。 「あの童衆(わらし)は何故あのような目にあっているのだ?」  すると野次馬に集まっていた男が答える。 「いつものことでぇ。大した理由もねぇのに折檻されてるんだよ」 「折檻?あの男はなんなのだ?」 「旦那ぁご存知ないんでぇ?ありゃ白木屋の番頭の伝衛門でぇ。あの童衆は丁稚だろうけどよ、いつもあぁして丁稚にきた童衆に難癖つけちゃぁ殴っててめぇの憂さをはらしてるんでぇ」 「あの男は白木屋の主人は止めぬのか?」 「いいや、まぁ白木屋さんも知っていて黙ってるんだから似たようなもんでぇ」  するとそれを聞いた別の野次馬も話に加わる。 「伝衛門さんは容赦がねぇからなぁ。童衆が死ぬまでやっちまう」 「先月も丁稚奉公に来ていた童衆が死んだそうだ」 「あの童衆も・・・・だめだろうなぁ・・・・」 「聞くが・・・あの童衆が折檻されている理由はなんなのだ?」 「いや・・・理由なんて俺たちだって知らねぇよ。ただよ、聞いた話によると雑巾の絞りがあめぇだの、夕餉の際の飯粒を一粒ふた粒零したとかそんな理由だって聞くぜ」 「しかも丁稚の童衆には白米なんかやらねぇそぉだ。麦飯食わせてそれを一粒落としただなんだと折檻するらしい」 「ほんとひでぇ話さ」  晩秋は既に泣く気力も失った童衆を見て顔を顰める。 「いつだったか・・・、殺された童衆の親が一晩中童衆の身体にすがって泣いていたよ。あれは聞いちゃいられなかったねぇ・・・・」 「あぁ・・・・あれなら覚えてるよ。そうなるのがわかっていても童衆を丁稚に出さなきゃ食ってかれない・・・・親としてはつれぇとこだな・・・」 「それで・・・どうして誰も止めないのだ?」  晩秋の言葉に、江戸っ子たちは一瞬きょとんとする。 「いやぁ・・・・そりゃぁ、お前さんよぉ・・・・・、丁稚奉公中のもんをどうしようが俺たちの口だすことじゃねぇだろぅ?」 「あ・・・あぁ、そうだよ。それによ、白木屋ってったら江戸の三大商家だぜ?目ぇつけられちゃこっちは商売上がったりになっちまうよ。どんな嫌がらせをされるかわかったもんじゃねぇ」  晩秋は再びぐったりと動かなくなった童衆と、それでもなお殴る手を止めない伝衛門を見やる。伝衛門の表情はどこか煌々としその口元には笑みまで浮かんでいる。童衆を嬲り殺すのがもはや楽しくて仕方ないように見えた。と、野次馬の中をかき分けてきた都羽丸がひょっこり顔を出した。 「やっと見つけましたよ!晩秋様っ、もぉ置いて行かないでくださいよぉ・・・・って、晩秋様?」  やっとの思いで晩秋を見つけた都羽丸は、晩秋と江戸っ子たちの間に漂う妙な空気に気づいた。 「えっと・・・・なにかありました?・・・・ってこの匂い・・・」  都羽丸が微かに漂う血の匂いで野次馬たちの中心にいる伝衛門と童衆に気づき息を飲む。そんな都羽丸を見て晩秋が静かに口を開く。 「童衆は今しがたこと切れた・・・・、それでもあの男は角材を振り下ろすことを辞めない・・・・・・まぁそれも童衆の背負った運命(さだめ)だ・・・仕方ねぇさ・・・・しかし都羽丸・・・・俺はどうもおもしろくないのだ・・・」 「はい・・・・晩秋様・・・・、私も今回ばかりは晩秋様と同じ思いです・・・・」  俯いた晩秋の顔には髪がかかりどんな表情(かお)をしているのか伺い知ることはできない。しかし握りしめた晩秋の拳が小さく震えていることに都羽丸は気づいた。  その時だった。生暖かい風が晩秋を取り巻くように吹いたかと思うと辺りがみるみるうちに暗くなった。 「えっ・・・・・これは一体・・・なにが起きているのですかっ」  都羽丸が驚いて辺りを見渡すとあんなにも溢れかえっていた野次馬の姿が誰ひとりとして見えない。目の前にはただ死んだ童衆と未だ殴り続ける伝衛門がいるばかりである。空は曇天に覆われ童衆の流した血の匂いがやけに強く感じる。 「晩秋様・・・・一体どうしてしまったのでしょう・・・・」  そう言って晩秋を見た都羽丸は思わず目を見開いた。晩秋の姿が様変わりしていたからだ。目尻はまるで化粧(けわい)したように朱に染まり、額からは角が二本突き出していた。小さく笑った口元からは長い牙が見える。 「ば・・・・晩秋様・・・・そのお姿はっ」  届いているはずの都羽丸の声に応えることなく、晩秋はゆっくりと伝衛門へと向かって歩き始めた。そうして伝衛門が振り上げた角材を素手で握るとそのまま力を込めて角材を二つに割ってしまった。そこで初めて伝衛門は晩秋の存在に気づき、その姿をみて目を見開いた。 「ひぃぃぃぃっ・・・・・お・・・鬼だ・・・・・」  晩秋は鋭い牙の除く口元で笑う。 「俺を鬼と呼ぶなら貴様はなんだ・・・・・」  伝衛門はその場で腰を抜かし、両手と尻で後ずさりするが晩秋は伝衛門の足の甲に自らの足を乗せるとゆっくりと力を込めた。バキバキと骨の砕ける音とともに伝衛門が奇声を上げる。晩秋はもう片方の伝衛門の足も同じようにした。  バキバキと骨の砕ける音が伝衛門の叫びでかき消される。伝衛門は涙を流しで晩秋に助けを乞うた。 「頼む・・・・銭か?銭が欲しいのか?いくらでもやるぞっ、だから頼む・・・殺さないでくれ・・・・」 「この期に及んで銭などと・・・・・どこまでも救いようがない・・・先ほどそこの童衆も必死に許しを乞うていたようだったが、貴様は殴り続けたではないか」 「いや・・・俺が悪かった・・・・もう童衆は殴らねぇ・・・だから・・・だから頼むっ殺さないでくれっ」  伝衛門は涙と鼻水でグズグズになった顔で必死に訴えた。が、しかしその訴えを嘲笑うかのように晩秋は伝衛門の左の足の膝に足をかけるとゆっくり力を込める。メリメリ・・・バキバキ・・・と伝衛門の足の骨の砕ける音が響く。伝衛門は声にならない声をあげた。同じように右の膝の骨も砕いたところでとうとう伝衛門は目を開けたまま泡を吹き失神してしまった。 「ば・・・晩秋様・・・」  背後から不安げな都羽丸の声が晩秋の耳に届く。 「大丈夫だ。喰らいはせぬ。このような悪党喰らったところでどうせ腹痛をおこすに決まっている」  そして晩秋は傍らに転がる童衆の躯に手を翳した。すると童衆がその身を起こし立ち上がり晩秋を見てにこりと微笑んだ。 「災難だったな・・・・」  晩秋がそう声をかけると童衆は目を伏せ首を横にふる。 「行けるか?」  童衆はコクリと頷くと最後に都羽丸そして晩秋を見てペコリと頭を下げた。そしてその姿は辺りの空気にかき消されるように薄くなりやがて消えた。  重く圧し掛かっていた曇天が徐々にかき消され、辺りの喧騒が都羽丸の耳に届くとそこは元のように童衆と伝衛門を多くの野次馬が囲んでいる。ただひとつ違うのは、こと切れた童衆のすぐ横に、伝衛門が目を開けたまま泡を吹いて失神している。その両足の骨は悉く砕かれ両のつま先が在らぬ方向を向いていた。 「おい・・・一体どうなっているんだ・・・・今まで童衆を殴っていた伝衛門さんが泡ふいて倒れているよ」 「いやぁ・・・さっぱりわけがわからねぇよ」  野次馬たちには童衆を殴りつけていた伝衛門が一瞬の後に泡を吹いて倒れたように見えていたらしい。  晩秋は黙ったまま野次馬たちをかきわけその輪から抜け出すと何事もなかったように歩き始める。その後を都羽丸が追いながら晩秋に声をかけるのをためらっていたがやがて意を決して口を開いた時だった。 「晩秋様・・・・先ほどのは一体・・・・」  そう切り出した都羽丸の言葉をかき消すように暮れ六つの鐘がなる。晩秋は立ち止まり東雲色に染まる空を見上げた。 「逢魔時・・・・・」  そう晩秋は呟いた。 「逢魔時?」  そう都羽丸が呟き返した時だった。 「いやぁ~いいもの見せて貰ったよ」  そう言って両手をパチパチと合わせながらひとりの男が現れた。晩秋と都羽丸はその顔に幾ばかりかの緊張を見せて男を振り返る。しかし男はあけすけな笑みを浮かべてふたりの前まで来ると言う。 「逢魔時・・・昼と夜の間のほんの僅かな時間。この世の者ならざる者が真の姿を取り戻す時間。話には聞いてたがまさか鬼に出会えるたぁねぇ」 「何者だ?」 「まぁまぁそんな怖い顔しないでよ。こうして出会ったのも何かの縁。仲良くしようじゃねぇか」  そう言って男は笑った。
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